雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

後漢

『隷続』巻十二劉寛碑陰門生名その二

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20111213/1323740395 の続き。 劉寛碑陰のその二、無官の人々 特に有名な人はいない?かな? 例のごとく間違ってる箇所あるかもしれません。 ご指摘お願いします。 凡例 ●は一文字欠落 ……は文字数不明の欠落 【】内は一文字、…

『隷続』巻十二劉寛碑陰門生名その一

王邑とか公孫瓚とかが名を連ねることで知られる劉寛碑陰 テキスト化に挑戦その一。その二は未定。 建立はいつかよくわからんけど、相国長史別部司馬が名を連ねていることから、相国がいた時代(189―192)だと思われる(←追記:むじんさんの指摘によれば傅燮…

曹操政権における丞相(司空)長史

三国志研究会会誌『鶏肋譚』に載せたものをほぼそのままあげてみる。 長史という官職がある。実は大変重要な官職であるのだが、いまいち知名度が低い。 長史は現代日本でいうところの省庁事務次官クラス。大臣を除いた省庁のトップである。さらにいえば丞相…

碑文に見る唐氏の一族

『隷釈』巻五 漢成陽令唐扶頌 君父孝廉郎中早卒、季父蜀郡、蜀郡従弟会稽、会稽従弟南陽、君従兄東莱太守、南陽弟司空公。 霊帝光和六年(183)に建てられた唐扶という人の碑文にその親族関係がでていた。 後漢の唐氏といえば、中常侍唐衡、その弟の司空唐珍…

青州族

臧覇は都督青州諸軍事だった。 息子の臧艾の官は青州刺史に至った。 臧覇の盟友、孫観は青州刺史に至った その子、孫毓もまた青州刺史になったという。 魏は果たして青州をしっかり支配してたんだろうか。

親戚だったのね。

『後漢紀』巻二十八 初,傕屯黃白城,故謀欲徙。傕以司徒趙溫不與己同,乃內溫塢中。溫聞傕欲移乘輿黃白城,與傕書曰:「公前託為董公報仇,然實屠陷王城,殺戮大臣,天下不可,家見而戶喻也。今爭睚眥之隙,以成千〔鈞〕(金)之讎,民在塗炭,各不聊生,曾…

李傕政権に於ける正式な州長官

メモ。 司隷校尉:李傕(初平三年九月) 『後漢紀』巻二十七 九月,揚武將軍李傕為車騎將軍,封池陽侯,領司隸校尉,假節。 荊州牧:劉表(初平三年十月) 『後漢紀』巻二十七 (初平三年)冬十月,荊州刺史劉表遣使貢獻,以表為荊州牧。 使いを送って貢献し…

尚書梁紹

『後漢紀』に尚書の梁紹という人が見られる。 『後漢紀』巻二十七 是時新遷都,宮人多無衣服。秋七月,帝欲發太府虵以作之。李傕不欲,曰:「宮中有衣,胡為復作邪?」尚書郎呉碩素諂於傕,乃言曰:「關東未平,用度不足,近幸衣服,乃陵轢同寮。」尚書梁紹…

中平元年のフットボール

タイトルは気にしない。 今までずっと黄巾の乱の経過を次のように思っていた。 1、張角の弟子唐客の密告 2、馬元義逮捕誅殺 3、黄巾蜂起 しかし、『後漢紀』を読んだらこんな感じだった。 春正月:張角の弟子唐客が謀反を告発(三月五日挙兵予定) 二月:…

虎奔と虎賁

『続漢書』志二十五巻 光禄勲注(追記しました、本文でなくて注です。goushuさんありがとうございます) 又虎賁舊作「虎奔」,言如虎之奔也,王莽以古有勇士孟賁,故名焉。孔安國曰「若虎賁獸」,言其甚猛。 虎賁中郎将とかで有名な虎賁、もとは「虎奔」とい…

律の制定

廣瀬薫雄『秦漢律令研究』(汲古書院、2010/3)を読んでいる。 秦漢律令学会に波紋を広げているこの書、とっても面白い、興味深い。 今回は主に「第四章 秦漢時代の律の基本的特徴について」から律とは何か、その制定手続きはどのようであったか、をとりあげ…

張魯の娘と龍津

宋代の地理書『太平寰宇記』の引く『道家雑記』から、張魯の娘にまつわるエピソード。 『太平寰宇記』巻一百三十五、山南西道一、梁州、引『道家雑記』 龍津、道家雑記、張魯女嘗浣於山下有霧蒙身遂孕。後恥之投漢水而死。魯因葬女於龍岡山頂。後有龍子数来…

刺史の軍事

後漢安帝期以降、有事に際して刺史が軍事行動をとることがしばしば見られるようになる。 『後漢書』紀五、安帝紀 遣御史中丞王宗督青州刺史法雄討破之。 『後漢書』紀八、霊帝紀 巴郡板楯蠻叛,遣御史中丞蕭瑗督益州刺史討之,不剋。 上の二つの例では御史中…

刺史の人事権に関する根拠への疑義(追記あり)

私は刺史が後漢を通して行政権を拡大していったということには賛成している。 刺史の権限に関して、刺史が太守県令の任命権を得ていたとする厳耕望*1の論がある。 次の文は県令任命権の根拠とされるものである。 『後漢書』列伝二十一、賈琮伝 琮即移書告示…

後漢と羌族、その5

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110621/1308584206の続き。 謁者もやられ、大ピンチの漢王朝! 馬武の活躍 『後漢書』列伝七十七 西羌伝 永平元年,復遣中郎將竇固、捕虜將軍馬武等撃滇吾於西邯,大破之。事已具武等傳。滇吾遠引去,餘悉散降,徙七千口置…

一日の行軍距離と糧食

永和二年(137)、交州で反乱が起きた。 朝廷は荊・楊・兗・豫の四州から併せて四万人を徴兵し鎮圧に向かわせようとした。 それに対する李固の反論のなかには後漢の行軍に関して言及がある。 『後漢書』列伝七十六、南蛮伝 大將軍從事中郎李固駮曰「(略)軍…

後漢末における州刺史と州牧(概略)

朱涵・柏天航「汉末刺史州牧嬗代再探讨」(『大众商务』2010年10期 2010/05) 石井仁「漢末州牧考」(『秋大史学』38、1992/03) を読んで、twitterでも書いたけど刺史と牧の違いがなんとなくわかった。 論文風にまじめに書いたら長くなりすぎて見にくくなっ…

後漢と羌族、その4

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110620/1308547237の続き 前回は馬援伝でしたが、西羌伝に戻ります。 建武中元元年の乱 『後漢書』列伝七十七 西羌伝 中元元年,武都參狼羌反,殺略吏人,太守與戰不勝,隴西太守劉盱遣從事辛都、監軍掾李苞,將五千人赴武…

後漢と羌族、その3

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110619/1308463250の続き。 破羌以西破棄の議 引き続き馬援伝 『後漢書』列伝十四 馬援伝 是時,朝臣以金城破羌之西,塗遠多寇,議欲棄之。援上言,破羌以西城多完牢,易可依固;其田土肥壤,灌溉流通。如令羌在湟中,則為…

後漢と羌族、その2

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110613/1307979221の続き。 建武十一年の反乱 『後漢書』列伝七十七 西羌伝 十一年夏、先零種復寇臨洮、隴西太守馬援破降之。後悉歸服、徙置天水・隴西・扶風三郡。明年、武都參狼羌反、援又破降之。事已具援傳。 建安十一…

北中郎将(修正)

中郎将シリーズ。 『後漢書』列伝第五十四 盧植伝 中平元年,黄巾賊起,四府舉植,拜北中郎將 ,持節,以護烏桓中郎將宗員副,將北軍五校士,發天下諸郡兵征之。 『三国演義』とかのイメージだと黄巾の乱平定時の盧植は北中郎将として、黄巾鎮圧のトップの一…

劉備の中郎将

『三国志』巻七 張邈伝注引『英雄記』 布水陸東下、軍到下邳西四十里。備中郎將丹楊許耽夜遣司馬章誑來詣布、言「張益德與下邳相曹豹共爭、益德殺豹、城中大亂、不相信。丹楊兵有千人屯西白門城内、聞將軍來東、大小踊躍、如復更生。將軍兵向城西門、丹楊軍…

後漢と羌族、その1

西羌伝が面白かったので読んでみる。 最初の沿革はすっ飛ばして、後漢と羌族の関わりから読んでいく。 護羌校尉の設置 『後漢書』列伝巻七十七 西羌伝 滇良者,燒當之玄孫也。時王莽末,四夷内侵,及莽敗,衆羌遂還據〔西海〕為寇。更始、赤眉之際,羌遂放縱…

奴婢の乱

『後漢書』列伝七十一 李善伝 李善字次孫,南陽淯陽人,本同縣李元蒼頭也。建武中疫疾,元家相繼死沒,唯孤兒續始生數旬,而貲財千萬,諸奴婢私共計議,欲謀殺續,分其財產。 南陽に李元という人がおり、相当な富豪であった。 しかし建武中に疫病のため、李…

夕陽は沈む

『太平御覧』巻二百一 封建部四 誅貶 引『東観漢記』 夕陽侯邢崇孫之為賊所盗、亡印綬、國除。 夕陽侯というロマンティックな侯に封ぜられた邢崇。 孫の邢之の代になって、盗賊に侯の印綬を盗まれた。 そして侯国は取り上げられてしまったのであった。 印綬…

劉氏にあらざれば…。

『漢書』巻四十 王陵伝 陵曰:「高皇帝刑白馬而盟曰:『非劉氏而王者、天下共撃之。』今王呂氏、非約也。」 高祖以来の漢の掟、「劉氏にあらざるものが王となったら、天下ともにこれを撃て」 『太平御覧』巻二百 封建部三 功臣封 引『東観漢記』 申屠公志以…

華陽国志人物伝 王阜

王阜 ☆Data 字:成公 出身:蜀郡成都 時代:後漢(章帝頃) ☆Life Story 蜀郡太守第五倫によって孝廉に挙げられ、重泉令に任命された。 すると重泉の学校に鸞という神聖な鳥が十日あまりにわたって集まってくるという珍事が起きた。 益州太守*1に遷ると、神…

御史中丞と都督

『漢書』巻十九 百官公卿表 (御史)中丞…外督部刺史… 御史中丞。その役職の一つに“刺史を監督する”というものがある。 その職掌によるものなのか、御史中丞が“州を督して”賊を討伐する場面がしばしば出てくる。 その実例。 『後漢書』巻五 安帝紀 遣御史中…

華陽国志人物伝 楊終

楊終 ☆Data 字:子山 出身:蜀郡成都 時代:後漢(明帝〜章帝頃) ☆Life Story 十三歳で『雷賦』という優れた作品を作り、また屈原の『七諫』に精通していた。 明帝の時代に班固や賈逵*1と並んで校書郎となり、『太史公書』(史記)を整えたほか、『生民詩』…

刺史の変化

刺史、前漢武帝の時に置かれ、本来は郡県の監察・弾劾を担当し、治民行政を行うことはなかった。 後漢に入ると、次第に行政官化し、後漢末になると州牧として正式に地方行政を担当することとなったのはご存じの通りである。 そうなった背景として次のような…