雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

尚書梁紹

後漢紀』に尚書の梁紹という人が見られる。

後漢紀』巻二十七
是時新遷都,宮人多無衣服。秋七月,帝欲發太府虵以作之。李傕不欲,曰:「宮中有衣,胡為復作邪?」尚書郎呉碩素諂於傕,乃言曰:「關東未平,用度不足,近幸衣服,乃陵轢同寮。」尚書梁紹劾奏碩:「以瓦器奉職天臺,不思先公而務私家,背奧媚灶,苟諂大臣。昔孔子誅少正卯,以顯刑戮。碩宜放肆,以懲姦偽。若久舍不黜,必縱其邪惑,傷害忠正,為患不細。」帝以碩傕所愛,寢其奏。

同書巻二十八
寧輯將軍段猥具服御及公卿已下資儲,欲上幸其營。猥與楊定有隙,迎乘輿,不敢下馬,〔揖馬上〕。侍中种輯素與定親,乃言段煨欲反。上曰:「煨屬來迎,何謂反?」對曰:「迎不至界,拜不下馬,其色變也,必有異心。」於是太尉楊彪、司徒趙溫、侍中劉艾、尚書梁紹等曰:「段煨不反,臣等敢以死保,車駕可幸其營。」董承、楊定言曰:「郭汜來在煨營。」詔曰:「何以知?」文禎、左靈曰:「弘農督郵知之。」因脅督郵曰:「今郭汜將七百騎來入煨營。」天子信之,遂路次於道南。

ある時は李カクにおもねる尚書郎呉碩*1を弾劾し、またある時は段猥を信じるべきと進言した。(献帝放浪中に段猥は献帝を迎えようとしたが、献帝に従っていた楊定は段猥と仲が悪かったので楊定と友人の侍中种輯さらに董承が必死に反対して結局段猥のもとにはいかなかった。)


さて、『三国志』注引『魏書』には大長秋梁紹という人が出てくる。

魏書曰:袁紹宿與故太尉楊彪大長秋梁紹、少府孔融有隙,欲使公以他過誅之。公曰:「當今天下土崩瓦解,雄 豪並起,輔相君長,人懷怏怏,各有自為之心,此上下相疑之秋也,雖以無嫌待之,猶懼未信;如有所除,則誰不 自危?且夫起布衣,在塵垢之間,為庸人之所陵陷,可勝怨乎!高祖赦雍齒之讎而羣情以安,如何忘之?」紹以 為公外託公義,內實離異,深懷怨望。

彼は袁紹と仲が悪く、袁紹が権力を握った曹操に彼を誅殺するよう頼むも断られる。
命が助かってよかったね。
さて、大長秋といえば宦官のつく官職として有名、曹操のじいさんとか。
先の尚書梁紹と同一人物だとすれば、彼は非宦官であるにも関わらず大長秋に就任している。
何進死後の宦官殲滅作戦ののち、宦官の代わりに非宦官をいろいろ用いたという記述が『後漢書』あった気がする。
おそらく大長秋もその流れで非宦官が就任していたんだろうね。


っていうことを書きたかったんだけど、彼を調べると、曹操暗殺計画にかかわったもろもろの人々のつながりがみえてきた。
李カク―呉碩―董承―种輯
後漢紀っておもしれー。今度いろいろ書きたいね。

*1:董承とともに曹操暗殺しようとした呉碩と同一人物か?もしそうなら、董承も牛輔の部将だったみたいだし曹操暗殺計画は董卓―李カク残党の決起とも考えられなくないだろうか。