雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

2011-01-01から1年間の記事一覧

二人は笑林!

『笑林』という書物がある。 魏の邯鄲淳の著であり、笑い話をあつめたものだ。 が、実はもう一つ『笑林』が存在していたようなのだ。*1 著者は陸雲。陸遜の孫、陸抗の子である。 ソースはネット。http://122.11.55.148/gate/big5/www.dfzb.suzhou.gov.cn/dfw…

劉寛碑陰故吏名

応劭さんのいる風景 欠落が多いけど官職とか出身とか字から推定が可能かもしれない。 誰かやってみてね(他力本願) これで劉寛碑陰のテキスト化は終了。 誰か頭のいい人研究してね☆ 凡例 ●は一文字欠落 ……は文字数不明の欠落 【】内は一文字、変換できなか…

『隷続』巻十二劉寛碑陰門生名その二

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20111213/1323740395 の続き。 劉寛碑陰のその二、無官の人々 特に有名な人はいない?かな? 例のごとく間違ってる箇所あるかもしれません。 ご指摘お願いします。 凡例 ●は一文字欠落 ……は文字数不明の欠落 【】内は一文字、…

『隷続』巻十二劉寛碑陰門生名その一

王邑とか公孫瓚とかが名を連ねることで知られる劉寛碑陰 テキスト化に挑戦その一。その二は未定。 建立はいつかよくわからんけど、相国長史別部司馬が名を連ねていることから、相国がいた時代(189―192)だと思われる(←追記:むじんさんの指摘によれば傅燮…

曹操政権における丞相(司空)長史

三国志研究会会誌『鶏肋譚』に載せたものをほぼそのままあげてみる。 長史という官職がある。実は大変重要な官職であるのだが、いまいち知名度が低い。 長史は現代日本でいうところの省庁事務次官クラス。大臣を除いた省庁のトップである。さらにいえば丞相…

碑文に見る唐氏の一族

『隷釈』巻五 漢成陽令唐扶頌 君父孝廉郎中早卒、季父蜀郡、蜀郡従弟会稽、会稽従弟南陽、君従兄東莱太守、南陽弟司空公。 霊帝光和六年(183)に建てられた唐扶という人の碑文にその親族関係がでていた。 後漢の唐氏といえば、中常侍唐衡、その弟の司空唐珍…

青州族

臧覇は都督青州諸軍事だった。 息子の臧艾の官は青州刺史に至った。 臧覇の盟友、孫観は青州刺史に至った その子、孫毓もまた青州刺史になったという。 魏は果たして青州をしっかり支配してたんだろうか。

三国志研究会at早稲田祭2011

三国志ニュースさんでも紹介していただきましたが http://cte.main.jp/newsch/article.php/2202 早大三国研、今年の早稲田祭に参加します。 テーマは ※ただし顔良(イケメン)に限る ということで、たぶん官渡とか関係してるのかもしれない。 遠く離れていた…

親戚だったのね。

『後漢紀』巻二十八 初,傕屯黃白城,故謀欲徙。傕以司徒趙溫不與己同,乃內溫塢中。溫聞傕欲移乘輿黃白城,與傕書曰:「公前託為董公報仇,然實屠陷王城,殺戮大臣,天下不可,家見而戶喻也。今爭睚眥之隙,以成千〔鈞〕(金)之讎,民在塗炭,各不聊生,曾…

李傕政権に於ける正式な州長官

メモ。 司隷校尉:李傕(初平三年九月) 『後漢紀』巻二十七 九月,揚武將軍李傕為車騎將軍,封池陽侯,領司隸校尉,假節。 荊州牧:劉表(初平三年十月) 『後漢紀』巻二十七 (初平三年)冬十月,荊州刺史劉表遣使貢獻,以表為荊州牧。 使いを送って貢献し…

尚書梁紹

『後漢紀』に尚書の梁紹という人が見られる。 『後漢紀』巻二十七 是時新遷都,宮人多無衣服。秋七月,帝欲發太府虵以作之。李傕不欲,曰:「宮中有衣,胡為復作邪?」尚書郎呉碩素諂於傕,乃言曰:「關東未平,用度不足,近幸衣服,乃陵轢同寮。」尚書梁紹…

中平元年のフットボール

タイトルは気にしない。 今までずっと黄巾の乱の経過を次のように思っていた。 1、張角の弟子唐客の密告 2、馬元義逮捕誅殺 3、黄巾蜂起 しかし、『後漢紀』を読んだらこんな感じだった。 春正月:張角の弟子唐客が謀反を告発(三月五日挙兵予定) 二月:…

虎奔と虎賁

『続漢書』志二十五巻 光禄勲注(追記しました、本文でなくて注です。goushuさんありがとうございます) 又虎賁舊作「虎奔」,言如虎之奔也,王莽以古有勇士孟賁,故名焉。孔安國曰「若虎賁獸」,言其甚猛。 虎賁中郎将とかで有名な虎賁、もとは「虎奔」とい…

ジャグラー

金曜の学校の宿題にジャグリングの歴史についての英文があった。 それによると中国古代にジャグラーがいたとのこと。 というわけで調べてみると次の記述のことらしい。 『列子』 宋有蘭子者,以技干宋元。宋元召而使見其技,以雙枝長倍其身,屬其踁,并趨并…

明日は待ちに待ったアレだよあれ!

明日か今日か知らんけどついに三国志フェスデスよ!みなさん! 今年はさらにパワーアップしたこのお祭り! 荀尚書の人形展示とか吉川先生や青木先生のサイン会! 各種公演揃い踏み!! 行かなきゃ損損孫文台! みんな集まれ大田区産業プラザ! まあ私はいけ…

中二賊

久々更新。こちらは今20時です。 イギリスの書店にあった中国史の本。 JOHN KEAY 『CHINA A HISTORY』(HarperPress, 2008, p185) their leaders rejoiced in blood-curdling nicknames such as 'Ox-horn Zhang', 'Poison Yu', 'Zuo of the Eighty-foot Mou…

使持節護匈奴中郎将

渡英前のラスト更新。そして既に誰か言ってるかあるいは見当違いな話。 『魏書』巻十六、杜畿伝附杜恕伝 復出為幽州刺史,加建威將軍, 使持節,護烏丸校尉。 『魏書』巻二十二、陳羣伝附陳泰伝 正始中,徙游撃將軍,為并州刺史,加振威將軍,使持節,護匈奴…

おしらせ

私雲子は7/2から12/31まで、英国に留学することになりました。 どっかの大学行くわけでもないただの語学留学ですが…。 さんざん漢文だの中国史だのと言っていたのになぜ英国なのかわけがわからないと思いますが、わたしもわかりません。 というわけで、4月か…

まみれた丞相車

この記事を書いた後に既視感を覚え(特に赤と白の袋のところ)、ググったらこの話はすでにT_Sさんがお書きになっていた、ので、この記事読まないで下のT_Sさんの記事読んでください。 http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110128/1296140629 『漢書』巻七十四、丙吉…

律の制定

廣瀬薫雄『秦漢律令研究』(汲古書院、2010/3)を読んでいる。 秦漢律令学会に波紋を広げているこの書、とっても面白い、興味深い。 今回は主に「第四章 秦漢時代の律の基本的特徴について」から律とは何か、その制定手続きはどのようであったか、をとりあげ…

張魯の娘と龍津

宋代の地理書『太平寰宇記』の引く『道家雑記』から、張魯の娘にまつわるエピソード。 『太平寰宇記』巻一百三十五、山南西道一、梁州、引『道家雑記』 龍津、道家雑記、張魯女嘗浣於山下有霧蒙身遂孕。後恥之投漢水而死。魯因葬女於龍岡山頂。後有龍子数来…

刺史の軍事

後漢安帝期以降、有事に際して刺史が軍事行動をとることがしばしば見られるようになる。 『後漢書』紀五、安帝紀 遣御史中丞王宗督青州刺史法雄討破之。 『後漢書』紀八、霊帝紀 巴郡板楯蠻叛,遣御史中丞蕭瑗督益州刺史討之,不剋。 上の二つの例では御史中…

刺史の人事権に関する根拠への疑義(追記あり)

私は刺史が後漢を通して行政権を拡大していったということには賛成している。 刺史の権限に関して、刺史が太守県令の任命権を得ていたとする厳耕望*1の論がある。 次の文は県令任命権の根拠とされるものである。 『後漢書』列伝二十一、賈琮伝 琮即移書告示…

後漢と羌族、その5

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110621/1308584206の続き。 謁者もやられ、大ピンチの漢王朝! 馬武の活躍 『後漢書』列伝七十七 西羌伝 永平元年,復遣中郎將竇固、捕虜將軍馬武等撃滇吾於西邯,大破之。事已具武等傳。滇吾遠引去,餘悉散降,徙七千口置…

一日の行軍距離と糧食

永和二年(137)、交州で反乱が起きた。 朝廷は荊・楊・兗・豫の四州から併せて四万人を徴兵し鎮圧に向かわせようとした。 それに対する李固の反論のなかには後漢の行軍に関して言及がある。 『後漢書』列伝七十六、南蛮伝 大將軍從事中郎李固駮曰「(略)軍…

後漢末における州刺史と州牧(概略)

朱涵・柏天航「汉末刺史州牧嬗代再探讨」(『大众商务』2010年10期 2010/05) 石井仁「漢末州牧考」(『秋大史学』38、1992/03) を読んで、twitterでも書いたけど刺史と牧の違いがなんとなくわかった。 論文風にまじめに書いたら長くなりすぎて見にくくなっ…

後漢と羌族、その4

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110620/1308547237の続き 前回は馬援伝でしたが、西羌伝に戻ります。 建武中元元年の乱 『後漢書』列伝七十七 西羌伝 中元元年,武都參狼羌反,殺略吏人,太守與戰不勝,隴西太守劉盱遣從事辛都、監軍掾李苞,將五千人赴武…

後漢と羌族、その3

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110619/1308463250の続き。 破羌以西破棄の議 引き続き馬援伝 『後漢書』列伝十四 馬援伝 是時,朝臣以金城破羌之西,塗遠多寇,議欲棄之。援上言,破羌以西城多完牢,易可依固;其田土肥壤,灌溉流通。如令羌在湟中,則為…

後漢と羌族、その2

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110613/1307979221の続き。 建武十一年の反乱 『後漢書』列伝七十七 西羌伝 十一年夏、先零種復寇臨洮、隴西太守馬援破降之。後悉歸服、徙置天水・隴西・扶風三郡。明年、武都參狼羌反、援又破降之。事已具援傳。 建安十一…

字書に載ってる謎校尉

『康煕字典』戌集上 金字部 銓 註 又姓。漢捕羌校尉銓徴。 『康煕字典』によれば、漢には捕羌校尉の銓徴という人がいたという。 ところが正史の類を検索してもこんな人は見られない。 しかも捕羌校尉という校尉も謎。護羌校尉ならわかるけど。 困った時の『…