雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

後漢と羌族、その4

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110620/1308547237の続き
前回は馬援伝でしたが、西羌伝に戻ります。

建武中元元年の乱

後漢書』列伝七十七 西羌伝
中元元年,武都參狼羌反,殺略吏人,太守與戰不勝,隴西太守劉盱遣從事辛都、監軍掾李苞,將五千人赴武都,與羌戰,斬其酋豪,首虜千餘人。時武都兵亦更破之,斬首千餘級,餘悉降。時滇吾附落轉盛,常雄諸羌,毎欲侵邊者,滇吾轉教以方略,為其渠帥。

前回の乱から約二十年後の建武中元元年(56年)、武都の参狼羌が反し、吏を殺した。
武都太守は勝てず、隴西太守の劉盱が従事の辛都、監軍掾の李苞に五千人を率いさせ武都に行かせた。
羌族と戦い、その首領を斬り、首級捕虜千人余りを得た。
その時また武都の兵が敗れ、千人余りが首になり(文字通り)、その他はことごとく降伏してしまった。
滇吾(燒當羌の首領)の部落は盛んとなっており、羌の諸部族の雄であった。滇吾は漢に侵入せんとする者に方略を教えて、その首領となった。

建武中元二年の乱

後漢書』列伝七十七 西羌伝
二年秋,燒當羌滇吾與弟滇岸率步騎五千寇隴西塞,劉盱遣兵於枹罕撃之,不能克,又戰於允街,為羌所敗,殺五百餘人。於是守塞諸羌皆復相率為寇。遣謁者張鴻領諸郡兵撃之,戰於允吾、唐谷,軍敗,鴻及隴西長史田颯皆沒。又天水兵為牢姐種所敗於白石,死者千餘人。

二年秋、滇吾は弟の滇岸と歩騎五千を率い隴西の塞を荒らした。
劉盱は枹罕・允街で敗れ、五百人余りが殺された。
そのため塞を守る羌族たちはふたたび荒らし始める。
朝廷は謁者の張鴻に諸郡の兵を領させこれを撃たせようとするが、軍は敗北、張鴻、隴西長史の田颯らが敗死。
天水の兵も牢姐種(羌の種族の一つ)に敗れ、千人余りの死者を出した。

雲子曰

隴西太守「うわっ…武都の郡兵、弱すぎ…?」
羌族「うわっ…漢の軍勢、弱すぎ…?」