2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧
家学とは、ある一族が代々特定の学問を修めること、またその学問のこと。 易を家学とした一族について書きます。 易とはひとくちに言ってもいろいろと学派があるので先にその学派を表にしてみます。 学派 太字が創始者、太学科目とは後漢の太学での科目にな…
魏の司徒、陳矯はもとは劉氏だったが、母方の伯父の陳氏を嗣いで陳矯になったという。 『三国志』巻二十二、陳矯伝注引『魏氏春秋』 矯本劉氏子,出嗣舅氏而婚于本族。徐宣毎非之,庭議其闕。 そしてもとの劉氏と婚姻したため徐宣にdisられた。 さて、姓氏の…
『隷続』巻第十五にある『黄龍甘露碑』 建安二十四年に黄龍が見えたことを記念して建てられたという。 二つの碑があり、二つ目に建安二十六年とあるが、『隷続』の編者は二つの碑を同時期に建てられたものではないとするため、一つ目の碑の建立も建安二十六…
ちょっとまえにつぶやいたが、私は恥ずかしながら劉備の故郷の楼桑村が『三国演義』あるいはそれに先行するなんらかの三国志物語の創作であると認識していた。 ところがどっこいすっとこどっこい『水経注』にそれはあった。 『水経注』巻十二、巨馬河 又東逕…
前言、応劭の知名度向上を願って。 許可が出たのでだいぶ昔サークルの何かにのせた応劭礼賛の文章をそのまま載せるよ ただのネタだよー! ワードのコピペでふりがなが読みにくい感じになってるけどなおすの面倒だからヨロシク! それじゃー行くよー! 4500字…