後漢
五斗米道に伝わるアイテム、斬邪の剣というものがあったという。 『古今図書集成』博物彙編神異典 神仙部 列傳 張道陵 所引『四川總志』 漢張道陵,初入蜀閬中。居鶴鳴山煉丹修道。感老君,授以祕籙,遂領弟子趙昇王長來雲臺山煉大丹,服之。漢永壽二年,自…
孔融の書いた『汝潁優劣論』 汝南の人物の方が潁川の人より優れているといいたいらしい 『汝潁優劣論』 融以汝南士勝潁川士,陳長文難,融答之曰:汝南戴子高,親止千乘萬騎,與光武皇帝共揖*1於道中,潁川士雖抗節,未有頡頏天子者也。汝南許子伯,與其友人…
『太平御覧』巻一百六十七 州郡部十三 山南道上 荊州 所引『荊州記』 蜀主敗于襄陽、南奔荊州。呉大帝擢為左将軍・荊州牧、城此而鎮之。時號蜀主為左安軍、故名其城曰公安。 劉備は襄陽で敗れて南へ逃れた。劉備は孫権により左将軍・荊州牧となり、この城(…
劉封と孟達が関羽の援軍要請を断った話がある。 wikipediaを見ると 劉封―wikipedia 同年曹操と孫権の挟撃を受け、関羽が孤立した。関羽からは何度も援軍を要請されたが、占領したばかりでまだ動揺が収まっていないという理由で、これを拒否した。結果、関羽…
2000年に発見された趙儀碑。建安十三年(208)の建立である。 以下の中国サイト見て繁体活字化。 http://blog.sina.com.cn/s/blog_60954b720100yrlz.html http://www.yingbishufa.com/ldbt/zhaoyibei.HTM 碑文 趙儀碑 漢故属国都尉犍為属国趙君諱儀字臺公,…
昨日は尚書郎のなり方だったけど、今日は労働環境について説明するぞ! 全部蔡質『漢官典職儀式選用』からの情報。原文引用はちょっとめんどいのでしないよー。 原文知りたい部分があったら教えてね!すぐソース出す。 1.勤務地 勤務地は明光殿*1。 職場の…
蔡質『漢儀』(『漢官典職儀式選用』)には尚書郎の選用方法、昇進過程が載っている。 『続漢書』百官志第二十六 少府 注引『漢儀』 尚書郎初從三署詣臺試,初上臺稱守尚書郎,中歲滿稱尚書郎,三年稱侍郎。(凡三十四人、選吏能者為之。*1)客曹郎主治羌胡…
『世説新語』政事第三 陳仲弓為太丘長,時吏有詐稱母病求假。事覺收之,令吏殺焉。主簿請付獄,考衆姦。仲弓曰:「欺君不忠,病母不孝。不忠不孝,其罪莫大。考求衆姦,豈復過此?」 陳群のおじいさんである陳寔が太丘長だったとき、役人が母の病と偽って休…
『三国志』巻七 呂布伝 注引『英雄記』 時有東海蕭建為瑯邪相,治莒,保城自守,不與布通。布與建書曰:「天下舉兵,本以誅董卓耳。布殺卓,來詣關東,欲求兵西迎大駕,光復洛京,諸將自還相攻,莫肯念國。布,五原人也,去徐州五千餘里,乃在天西北角,今不…
黄皓の出自の謎に一歩でも迫るために蜀漢にゆかりある黄氏を調べてみる。 巴西閬中の黄氏 『華陽国志』巻一 巴志 (巴西)閬中縣(略)大姓有三狐、五馬,蒲、趙、任、黄、嚴也。 巴西閬中の大族に黄氏がいる。 『三国志』巻四十三 黄権伝 黄權字公衡,巴西…
『三国志』巻四十五 楊戯伝に引く『季漢輔臣賛』 (龔)德緒名祿,巴西安漢人也。先主定益州,為郡從事牙門將。建興三年,為越嶲太守,隨丞相亮南征,為蠻夷所害,時年三十一。弟衡,景耀中為領軍。 龔禄、字徳緒、巴西安漢の人。劉備が益州を平定すると、郡…
誰得無名人物特集。今日のテーマは龐季 『三国志』巻六 劉表伝 注引『戦略』 遂使越遣人誘宗賊,至者五十五人,皆斬之。襲取其眾,或即授部曲。唯江夏賊張虎、陳生擁衆據襄陽,表乃使越與龐季單騎往說降之,江南遂悉平。 劉表は荊州牧として赴任すると豪族達…
『水経注疏』巻二 河水二 『十三州志』曰:大河在金城北門、東流、有梁泉注之、泉出縣之南山、按耆舊言:梁暉、字始娥、漢大將軍梁冀後、冀誅、入羌。後其祖父為羌所推為渠帥、而居此城。土荒民亂、暉將移居枹罕、出頓此山、為群羌圍迫、無水。暉以所執榆鞭…
『水経注疏』巻二十八 沔水中 沔水又東南逕蔡洲、漢長水校尉蔡瑁居之、故名蔡洲。洲大岸西有洄湖、停水數十[田毎]、長數里、廣減百步,水色常緑。 楊儀居上洄,楊顒居下洄、與蔡洲相對、在峴山南廣昌里。 襄陽には蔡洲と呼ばれる地があった。 劉表配下で、…
※この記事に小学生は一切出てきません。 益州には巴郡という郡があった。 劉璋が益州牧であった初平元年興平二年に巴郡は巴郡・永寧郡・固陵郡の三つに分けられた。 『華陽国志』巻一 巴志 建安六年,魚復蹇胤白璋,爭巴名。璋乃改永寧為巴郡,以固陵為巴東…
タイトルが思いつかなかったのでとりあえず登場人物を並べた。 劉封と孟達が上庸で行動を共にしていたのはご存じだと思われる。 二人が行動を共にするようになった経緯は『三国志』に次のようにある。 『三国志』巻四十 劉封伝 建安二十四年,命達從秭歸北攻…
漢代、郡県の功曹以下は郡太守、県令が選ぶ。 一方で、県の令・長・丞・尉、郡の太守・丞といった高官は朝廷による任命で、郎官*1を経た者しかなれなかったといわれる。 しかし、濱口重國氏は漢碑のなかにみえる守○○令などの記述を研究し、本来朝廷による任…
昨日の記事というか30分くらい前に更新した記事は20日中に更新しようとしたことによって残念な記事になった。 文は巧遅のほうがいいようだね。 というわけで昨日の記事のさらに元ネタの『封氏聞見記』に当たってみることにした 『封氏聞見記』巻四 露布,捷…
『曹操集』文集 巻一の引く『封氏聞見記』巻四 有警急、輒露版挿羽 曹操の時代、緊急の要件を奏する場合には文書に羽を挿したという。 露版についての解釈が微妙に違うっぽいので修正中>< すいません こっち読んでください↓ http://d.hatena.ne.jp/chincho…
自分用なので多分読みにくい。 解読不能。 人物 所属 時期 前職 後職 備考 夏侯淵 曹操 曹操起兵時 不明 陳留、潁川太守 騎都尉も領す 曹仁 曹操 曹操起兵すぐか 不明 廣陽太守 行厲鋒校尉 卞秉 曹操 建安 不明 不明 卞皇后の弟 梁習 曹操 并州制圧後 司空西…
積ん読処理ということで于濤(鈴木博 訳)『実録三国志』(青土社 2008)を読んでいる。 中国の研究者による三国志の研究本だが、王必の評価がやたら高くてびびった。 まず曹操が献帝のもとに王必を派遣したことを4ページ強に渡って触れ*1、最後に次のよう…
適当に後漢書と三国志から州吏の筆頭である別駕と治中をもってきた。 割と自分用。 間違いがいろいろあると思う。 抜けもあるかもしれない。 何か気づいたらおしえてください。 群雄じゃない劉馥と温恢はオマケ。 何が言いたいかっていうと呂布の別駕の薛蘭…
以前ツイッた話。 「杯中の蛇影」ということわざがある。 病は気から、と似た意味。 杯に映ったものを蛇と勘違いしてから病気になったが、それが蛇でなかったと知って快癒したという話から来ている。 『晋書』楽広伝にある話だ。 『晋書』巻四十三 楽広伝 嘗…
久々に更新。 充電期間を経てとくぼうが数倍になりました。*1 さて、宋代の地理書『太平寰宇記』には『魏志』が引かれている。 『太平寰宇記』巻一 河南道一 封邱県条 鄢山在縣北三里魏志初平四年春太祖軍甄城荊州牧劉表斷糧道術引軍入陳留屯封邱鄢山徐賦佐…
梁の陶弘景による『古今刀剣録』から。*1 『古今刀剣録』 鄧艾,年十二,曾讀陳太丘碑,碑下掘得一刀,鄢如漆,長三尺余。刀上常有氣淒淒然,時人以為神物。 鄧艾は十二才で太丘長の陳寔*2を称えた陳太丘碑を読み、碑の下から一振りの刀を掘り出した。 それ…
『古今図書集成』職方典巻五百四十二 延安府山川考一 艾蒿嶺 在城東六十里,即子午嶺之分名也。呂布生于此地,有呂布窯。 『古今図書集成』職方典巻五百四十八 延安府古蹟考一 呂布窯 在縣東六十里,有艾蒿嶺、爛柯岩,號為龍窩,呂布生此,有窯穴呼為呂布窯…
最近迷走していたので初心に返って三国志の話題。 『太平御覧』巻四百四十一 引皇甫謐『列女伝』 下邳陳悝妻者、同郡呉氏之女。漢末喪亂、流寓東城。東城令戚奇欲北就呂布、楚(焚?)城疊、虜人衆、聞女有美色、善史書、能彈琴瑟、遂殺悝、住車令僕者接女上…
『芸文類聚』巻六十 軍器部 後漢士孫瑞劍銘曰:天生五材,金德惟剛,從革庚辛,含景吐商,辯物利用,勳伐彌彰,暨彼良工,區冶幹將*1,爰造寶劍,巨闕墨陽,精通皓靈,獲茲休祥,剖山竭川,虹蜺消亡,曜威燿武,震動遐荒,楚以定霸,越以取強。 士孫瑞の剣の…
『呉地記』匠門条 東南二裏有漢吳郡太守朱梁墳,本名趙,避後漢和帝諱,改為梁,今吳郡朱氏皆梁之後。 唐の陸広微の『呉地記』によると、呉郡朱氏は皆後漢和帝頃の呉郡太守朱梁*1の子孫だという。 前漢ですでに会稽郡呉*2の朱買臣とかいるけど彼との関係はど…
応劭さんのいる風景 欠落が多いけど官職とか出身とか字から推定が可能かもしれない。 誰かやってみてね(他力本願) これで劉寛碑陰のテキスト化は終了。 誰か頭のいい人研究してね☆ 凡例 ●は一文字欠落 ……は文字数不明の欠落 【】内は一文字、変換できなか…