雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

褒斜道を通した男

次の文は褒斜道の崖に彫られていたものだという。 『金石萃編』巻二十四、李苞通閣道題名 潘宗伯韓仲元以泰○【始】六年五月十日造此石○【木へん】○【女へん】 景元四年十二月十日盪寇将軍浮亭侯譙国李苞字孝章将中軍兵石木工二千人始通此閣道 潘宗伯&韓仲元…

碑に生きた男

『隷釈』巻一、帝堯碑 (前略)故鉅鹿太守仲訢 故広宗長仲選 故呂長仲球 (後略) 帝堯碑(熹平四年:175年)の連名に、もとの鉅鹿太守仲訢、もとの広宗長仲選、もとの呂長仲球という人がいる。 この人たち、別の碑文にも連名している。 『隷釈』巻一、(成…

洛陽の紙価うんぬんで有名な左思の一族

左思、三国志好きにはおなじみですね! え、知らない?? やだなあ、西晋の人で魏呉蜀三国の都をテーマに三都賦を編んだんですよ! それが大流行して洛陽の紙価を爆上げさせたすごい人です!! まあ経歴はうぃっきーでも見てくれ。正確かどうかは知らんけど…

裴氏と伏氏

『漢魏南北朝墓誌彙編』晉大司農關中侯裴祇墓誌 【銘文】 晉大司農關中侯裴祇,字季贊, 河東聞喜人也。春秋六十有七, 元康三年七月四日癸卯薨。十 月十一日乙卯安措。 大夫人東莞東武伏氏。 夫人秦國陳倉馬氏。 西晋の裴祇という人の墓誌がある。晋の大司…

益州と興平改元

194年、改元が行われ、年号は初平から興平となった。 しかし、どうも益州においてはその後もそのまま初平が使われていた可能性がある。 初平は四年までしかないのだが、益州の地方史『華陽国志』では初平六年という表現が出てくる。 『華陽国志』巻一、巴志 …

応劭著『食べてはいけない2』

昨日の続き。 いろいろ 銅氣蓋熱食,氣上蒸成汗,滴下食中,即有毒。 銅の蓋をして食べ物を熱すると、気が蒸発して水滴になる、それが食べ物に落ちると毒を持つ。*1 炊湯過宿飲之有毒,盥洗則生疥。 お湯を焚いて一晩たつと毒を持ち、それで手や顔を洗うと疥…

応劭著『食べてはいけない』

前置き どうも、三国志イベントで応劭への愛を叫んでスベった雲子です。 さて、秋も深くなってきて山を歩けば山菜採りやキノコ狩りの人たちに出会います。 そんなとき毒のある植物、キノコなんかに注意しなければなりません。 そこでこの本! 応劭先生の『論…

盗賊さん、五千銭盗り忘れてますよ!

『太平御覧』巻八百三十六、銭下の引く『豫章列士伝』 施陽字季儒、為舒令。經江夏、遇賊劫奪陽物。賊去後、車上有五千錢、遣人追與。賊聞知、悉還其物、陽以付亭長。 『古今図書集成』学行典二百三十四巻に引く『南昌郡乘』 施陽,字季儒,豫章人。以德行聞…

高順騎将説への疑義

高順は騎将というイメージは根強いと思われる。 光栄の三国志11においては騎兵適性が最高ランクのSであるし、蒼天航路では弁髪で北方騎馬民族風出で立ちであった他、三国志大戦でも兵種は騎兵らしい。 こういったイメージはおそらく、高順が呂布の并州時代…

万彧

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20121002/1349104783を見て万彧の出自が気になったので百度百科で調べてみた。要するに便乗。 http://baike.baidu.com/view/1232115.htm 万彧(?――273)字不详(一说字文彬,疑出自《江苏毘陵万氏宗谱》,但未见参考文献原文),…