雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

親戚だったのね。

後漢紀』巻二十八
初,傕屯黃白城,故謀欲徙。傕以司徒趙溫不與己同,乃內溫塢中。溫聞傕欲移乘輿黃白城,與傕書曰:「公前託為董公報仇,然實屠陷王城,殺戮大臣,天下不可,家見而戶喻也。今爭睚眥之隙,以成千〔鈞〕(金)之讎,民在塗炭,各不聊生,曾不改悟,遂成禍亂。朝廷仍下明詔,欲令和解,詔令不行,恩澤日損,而復欲轉乘輿黃白城,此老夫所不解也。於易,『一過,再為涉,三而弗改,滅其頂,凶』。不如早共和解,引軍還屯,上安萬乘,下全生民,豈不幸甚。」傕大怒,欲遣人害之。其弟應,溫故吏也,諫之數日乃止。帝聞溫與傕書,問侍中當〔常〕洽曰:「傕不知臧否,溫言大切,可為寒心。」洽曰:「李應以解之矣。」上乃絓。

李傕政権の頃、
李傕は自分に賛同しない司徒趙温を疎ましく思っていた。
その趙温が李傕を責めるような手紙を送ったため、彼を殺そうとしたことがあった。
幸いにも李傕の弟の李応がかつて趙温の部下であった縁から李傕を諌め、事なきを得た。
趙温がキツイ手紙を送ったと聞いた献帝は心配し侍中の常洽に相談した。
常洽は「李応がなんとかしてくれる」といったので献帝は喜んだ。(超訳


という話があった。
さてここで登場する司徒趙温と侍中常洽、実は縁戚関係がある。ということに今日気付いた。
昔の拙エントリを見ていただきたい。
http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110502/1304297026
常洽の娘は、趙温の兄、趙謙に嫁いでいる。
侍中常洽と司徒趙温は叔父と甥の関係なのだ。
献帝が常洽に相談したのもその縁戚関係の故だったりして。
常洽もきっと李応が行ってくれてほっとしたにちがいない。


それだけ。


ちなみに常洽はのちに李傕に殺され、一方の趙温は曹操政権まで生き延び建安十三年に死んだ。
なんという運命だろうか。