前漢
天長西漢墓から出土した竹簡「戸口簿」に次のようにある。 戸凡九千一百六十九少前,口四萬九百七十少前。 東郷戸千七百八十三,口七千七百九十五 都郷戸二千三百九十八,口萬八百一十九 楊池郷戸千四百五十一,口六千三百廿八 鞠(?)郷戸八百八十,口四千…
『漢書』巻六十四上 朱買臣伝 會邑子嚴助貴幸,薦買臣。召見,說春秋,言楚詞,帝甚說之, 拜買臣為中大夫,與嚴助俱侍中。 前漢の呉*1の朱買臣は同郷の厳助の推薦により朝廷に仕えることとなった。 厳助は本来は荘助であったが、後漢の明帝の諱を避けて『漢…
家学とは、ある一族が代々特定の学問を修めること、またその学問のこと。 易を家学とした一族について書きます。 易とはひとくちに言ってもいろいろと学派があるので先にその学派を表にしてみます。 学派 太字が創始者、太学科目とは後漢の太学での科目にな…
『漢書』には古今人表というものがある。 伝説上の帝王から戦国時代くらいまでの千数百人の人物を 上上(聖人)、上中(仁人)、上下(智人)、中上、中中、中下、下上、下中、下下(愚人)の九等にわけたものだ。 当時の人物格付け表。 とても面白いのだが…
『通典』職官典、巻七、諸卿上 (太常卿)丞:秦置一人,漢多以博士、議郎為之。 (略) (光禄卿)丞:漢二人,多以博士、議郎為之。後漢一人。 (略) (衛尉卿)丞:秦漢多以博士、議郎為之。後漢一人。 部署の副官のことを中国では丞といったが、漢代、…
『後漢書』列伝七十一 周嘉伝 周嘉字惠文,汝南安城人也。高祖父燕,宣帝時為郡決曹掾。太守欲枉殺人,燕諫不聽,遂殺囚而黜燕。囚家守闕稱冤。詔遣覆考,燕見太守曰:「願謹定文書,皆著燕名,府君但言時病而已。」出謂掾史曰:「諸君被問,悉當以罪推燕。…
『続漢書』志二十五巻 光禄勲注(追記しました、本文でなくて注です。goushuさんありがとうございます) 又虎賁舊作「虎奔」,言如虎之奔也,王莽以古有勇士孟賁,故名焉。孔安國曰「若虎賁獸」,言其甚猛。 虎賁中郎将とかで有名な虎賁、もとは「虎奔」とい…
この記事を書いた後に既視感を覚え(特に赤と白の袋のところ)、ググったらこの話はすでにT_Sさんがお書きになっていた、ので、この記事読まないで下のT_Sさんの記事読んでください。 http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110128/1296140629 『漢書』巻七十四、丙吉…
廣瀬薫雄『秦漢律令研究』(汲古書院、2010/3)を読んでいる。 秦漢律令学会に波紋を広げているこの書、とっても面白い、興味深い。 今回は主に「第四章 秦漢時代の律の基本的特徴について」から律とは何か、その制定手続きはどのようであったか、をとりあげ…
陳立 ☆Data 字:少遷 出身:蜀郡臨邛 時代:前漢(成帝頃) ☆Life Story 前漢の成帝期、牂柯郡で乱が起きた。*1大将軍の王鳳の推薦により牂柯太守となり、反乱は平定された。*2巴郡太守・天水太守を歴任し、天水では天下一の治績をあげ、天子から黄金四十斤…
『漢書』巻十九 百官公卿表 (御史)中丞…外督部刺史… 御史中丞。その役職の一つに“刺史を監督する”というものがある。 その職掌によるものなのか、御史中丞が“州を督して”賊を討伐する場面がしばしば出てくる。 その実例。 『後漢書』巻五 安帝紀 遣御史中…
王褒 ☆Data 字:子淵 出身:犍為郡資中*1 時代:前漢(宣帝頃) ☆Life Story 文章の才能によって、宣帝のもとに侍した。 はじめ、益州刺史王襄のために『楽職中和頌』を作った。 (刺史がすごい奴がいると上表したため*2)宣帝に徴用され、『聖主得賢臣頌』…
司馬相如 ☆Data 字:長卿 出身:蜀郡成都 時代:前漢(武帝頃) ☆Life Story 都に遊学した。文章を作るのに優れており、無署名で「子虚賦」を著した。 武帝はこれを読んで言った。 「私はこの人と同じ世の人でないことが悔やまれる」*1 楊得意という人が答え…
困った時の華陽国志。久々に華陽国志人物伝です。 張寛 ☆Data 字:叔文 出身:蜀郡成都 時代:前漢(景帝〜武帝頃) ☆Life Story 蜀郡は秦の後を承け、文徳を備えた人が少なかった*1。 そこで、蜀郡太守の文翁*2は張寛を都の博士のもとにやって学ばせた。張…
刺史、前漢武帝の時に置かれ、本来は郡県の監察・弾劾を担当し、治民行政を行うことはなかった。 後漢に入ると、次第に行政官化し、後漢末になると州牧として正式に地方行政を担当することとなったのはご存じの通りである。 そうなった背景として次のような…
『漢書』巻九十九 王莽伝 (王)莽妻宜春侯王氏女,立為皇后。 王莽の妻は宜春侯王氏(王咸)の娘であった。 つまり、王莽の妻も王さんだったのである。 中国は古代から同“姓”婚が禁じられているはずだ。 この婚姻に問題はなかったのだろうか。 さて、ここで…
昨日と同じ書物から 『歴世真仙體道通鑑』巻十八 張天師 天師真人姓張氏,諱道陵,字輔漢,沛豐邑人,留侯子房八世孫也。子房初遊下邳,遇黄石公,授以素書,後從漢高帝,有功封侯,養真辟穀,師友赤松,得東園公飛步之訣,謚文成侯,黹赘人蛮伛功隱行,流芳…
何武 字:君公 from:蜀郡郫県 era:前漢 対策甲科(漢の人材登用試験)によって郎となり、揚州・兗州刺史、司隷校尉、京兆尹、清河・楚・沛太守、廷尉、御史大夫を歴任した。 成帝が三公を設置すると、大司空を拝命し、氾郷侯に封じられた。人となりは忠に…
後漢末の扶禁という人をご存じだろうか。 劉璋の将で、向存とともに霍峻の守る葭萌を攻めたが、失敗に終わった人である。 こいつはわりとどうでもいいのだが、扶氏という姓が気になったのでちょっと調べてみた。 『古今図書集成』に引く『尚友録』には益州の…
林閭 字:公孺 from:蜀郡成都 era:前漢 古学を好んだ。 古代には「輶車之使」という官があった。 漢が興ると、(宮中の書庫を管理していた)劉向ですらその官については聞いたことがあるというだけで、詳細には知らなかった。 ただ、林閭と荘遵だけが、この…
楊雄 字:子雲 from:蜀郡成都 era:前漢 (揚雄と書かれることが多いがここでは華陽国志に沿って楊雄とする) 幼い頃から家は貧しく、家にはわずかな蓄えもなかった。学問を好んだが、章句の研究はしなかった。 司馬相如の文章を慕い、辞賦の制作にふけった。…
李弘 字:仲元 from:蜀郡成都 era:前漢 若いころから五経を読んだが、章句研究をすることはしなかった。路地裏で生活したが、堅い志があった。 立ち居振る舞いは国家が師とした。徳行によって郡の功曹となったが一月で去った。 子の李贅が辱められたために人…
蜀の地方史『華陽国志』には先賢士女志という、土地の人物達の簡単な伝がある。 そこに載っている人々は正史に名を連ねる人もいれば、ここにしか残らない者もある。 そんな人物達を時々簡単に紹介することでネタ不足解消眠っている名臣・名将たちにスポット…
ラノベっぽい?タイトルにしてみた。 本題の前に、先日取り上げた「魯粛湾」について 呉下の凡愚の住処さんにて取り上げていただきました。 あんちょさんありがとうございます。 http://ameblo.jp/ancyon/entry-10860096744.html http://ameblo.jp/ancyon/en…
『二年律令』 □□為縣官有為也、以其故死若傷二旬中死、皆為死事者、令子男襲其爵。毌爵者其後公士。 毌子男以女、毌女以父、毌父以母、毌母以男同産、毌男同産以女同産、毌女同産以妻。 諸死事當置後、毌父母・妻子・同産者、以大父、毌大父洞以大母與同居數者。 前漢…
何茲全「魏晋的中軍」(『中央研究院歴史語言研究所集刊』17)を読んだので何回かに分けて要約(自分用メモを兼ねているので読みにくいと思います)。 論文のタイトルには“魏晋”とあるが、両漢の中央軍についても触れており、今回は漢の中央軍についてまとめ…
秦末、沛の父老たちは沛令を殺し、劉邦を沛公とした。 その後、劉邦によって漢がたてられることはいうまでもないのだが、 劉邦が沛公になった経緯がちょっと面白い。 『漢書』巻一高祖本紀 蕭﹑曹(等)皆文吏,自愛,恐事不就,後秦種族其家,盡讓高祖. 諸父…
漢代の軍権のはなし 『漢書』巻四文帝紀注 應劭曰:「銅虎符第一至第五,國家當發兵遣使者,至郡合符,符合乃聽受之.竹使符皆以竹箭五枚,長五寸,鐫刻篆書,第一至第五.」 師古曰:「與郡守為符者,謂各分其半,右留京師,左以與之.使音所吏反.」 前漢…
張家山漢墓から発見された前漢呂后二年(前185年)の法律と推定される二年律令からの話。 諸食脯肉、毒殺・傷・病人者、亟盡孰(熟)燔其餘。其縣官脯肉也、亦燔之。當燔弗燔、及吏主者、皆坐脯肉臧(贓)、與盜同法。 〔三國時代出土文字資料の研究班「江陵…
文帝、景帝は野村