三国志
現在、九州国立博物館で行われている「三国志展」 sangokushi2019.exhibit.jp その展示に「毋丘倹紀功碑」というものがあり、その解説に「魏の将軍の名は毌丘倹(かんきゅうけん)とされてきたが、近年の研究では毋丘倹(ぶきゅうけん)とされる。」とある。…
後漢書とか三国志を読んでいると、年や月だけではなくて、起こった日付まで記載されているものが意外に多くある。 ただ、庚午とか乙巳といった十干十二支で書かれているため、グレゴリウスに忠誠を誓い、西暦に毒されてしまった現代日本人には日付として認識…
だいぶ昔に厳顔が自刎したという話を載せたことがある。 chincho.hateblo.jp この他にも厳顔のその後について別の話を発見したので、今回は改めて厳顔のことを整理してみたいと思う。
三国志14プレイデータ収集版配信開始の記事を公式に捕捉され、実質公認ブログとなった雲子です。 さっそくやってみたので簡単に感想を。
やあみんな! 2020年1月発売予定の三国志14のプレイデータ収集版(体験版)が公開されたゾ! 曹操を2年(72ターン)操り、袁術、呂布を滅ぼすシナリオがプレイできるようです。 プレイデータ収集版RTAとか見てみたいので誰かやってほしいですね。(他力本願…
奇跡!数百年ぶりの二日連続更新です。 ブログはいいから動画を早く更新しろと言われそうですが、本業は三国志ブロガーなので許してください…。
お久しぶりです。 孫寒華ブロガーの雲子です。 2020年1月16日発売の三国志14、路招、周喁、黄射、句扶、李封などなど、様々な新登場武将にSNSが盛り上がっておりますね! というわけで、三国志14への孫寒華の登場を祈願しブログを更新します。
どうもご無沙汰していました、雲子です。 ブログ移転してからはじめての三国志ですね。 さて、皆さんは「袁術」をなんと読んでいますか。 呼び方なら「ハチミツ」とか「陛下」とか様々な罵詈雑言がありますが、読み方であれば多くの人は「エンジュツ」と読ん…
最近、三国志大戦に追加された孫寒華、史書には載っていないのであまり知られていない。 私は、今から約10年前に寒華たんと出会って以来の古参ファン*1なので、大変にうれしいとともに、ちょっと寂しさもある。 応援していた地下アイドルが有名になってMステ…
実はこのブログは昔から潁川の唐氏についてしばしば取り上げてきた。 唐姫 碑文に見る唐氏の一族 今回、いくつか唐氏について発見したので1つの記事にしようかと思ったが、ちょっと長くなりそうだったので分ける。(2〜3回) 一つ目は唐鳳。これまで唐姫の…
前回更新から1年半も経過してしまいました。 最近はこんな動画を投稿したりしてます。 王必と応劭を広めるために始めたのに出番ほとんどなくて作戦は失敗しました。 1,000再生いけばいい方かと思ってましたが、5,000くらい再生されたものもありがたいことで…
曹操の覇業を支えた忠臣といえば、荀彧(じゅんいく)、 荀攸(じゅんゆう)や程昱(ていいく)などが有名です。 彼らと比べるとほとんど知られていないですが、彼らに匹敵するくらい曹操の勢力拡大に貢献した王必(おうひつ)という人物がいます。 曹操から…
献帝の憤り−てぃーえすのワードパッド 上の記事に引用されている、献帝の曹操に対する憤りについて書かれた次の文 『後漢書』皇后紀第十下、献帝伏皇后 自帝都許,守位而已,宿衞兵侍,莫非曹氏黨舊姻戚。議郎趙彦嘗為帝陳言時策, 曹操惡而殺之。其餘内外,…
春秋時代の語源となった史書『春秋』、注釈者により複数のバージョンがあり、現在最も通行しているものは左丘明による『春秋左氏伝』である。 『隋書経籍志』には『春秋』の概要が書かれており、後漢代には、主流として『公羊(くよう)伝』の厳氏派と顔氏派…
『元和姓纂』巻五 牛 宋微氏之後、司寇牛父、子孫以王父字為氏。戦国時趙有牛翦、秦有牛缺。 【隴西】漢牛邯為護羌校尉、居隴西。又有牛崇、牛嘉。魏有牛金。 (中略) 【安定】状云牛金之後、逃難改牢氏、又改為遼氏。裔孫後周工部尚書、臨芤公遼允、復姓牛…
上の関羽動画を見たので関羽ネタを。 『蜀中広記』 雲谷雜記紹興中洞庭漁人獲一印方僅二寸其制甚古紐有連環四兩兩相貫上有一大環總之葢所以佩也漁者以為金競而訟于官辨其文乃壽亭侯印四字闗侯嘗封於漢壽亭疑必侯物遂留長沙官庫守庫吏見印上時有光焰因白于官…
『群書治要』巻四十六 典論 何進滅於呉匡,張璋,袁紹亡於審配,郭圖,劉表昏於蔡瑁,張允。孔子曰:佞人殆,信矣。古事已列於載籍,聊復論此數子,以為後之監誡,作奸讒。 中平之初,大將軍何進,弟車騎苗,并開府,近士呉匡,張璋,各以異端有寵於進,而苗…
『芸文類聚』巻五十九 武部 戦伐 所引、王粲『三輔論』 湘潛先生,江濱逸老,將集論雲夢,玄公豫焉。先生稱曰:蓋聞戎不可動,兵不可揚,今劉牧建紱垂芳,名烈既彰矣。曷乃稱兵舉眾,殘我●零。逸老曰:是何言與,天生五材,金作明威,長沙不軌,敢作亂違,我…
『太平御覧』人事部三十六「浴」所引、丘淵之『征斉道理記』 朱靈城東,有管寧舊宅。宅前有水,是寧常所澡浴處。 『征斉道理記』によると朱霊城の東に管寧の家があり、管寧は家の前の水場でいつも体を洗っていたという。 ここに出てくる朱霊城、どこにあった…
『水経注』巻二十八「沔水」 城東門外二百步劉表墓,太康中為人所發見,表夫妻其屍儼然,顏色不異,猶如平生。墓中香氣遠聞三四里中,經月不歇。 襄陽の故城の東門から二百歩(約300メートル)のところに劉表の墓があり、晋の太康年間に発見された。 劉表夫…
凌統の子孫について書かれてたのでメモ 『元和姓纂』巻五 「凌」 衛康叔支子為周凌人、子孫以官為姓。呉志有都督凌統。晋有凌嵩。 【餘杭】凌統世居餘杭、二子、烈、封。八代孫嵩、晋広陵太守。貞元都官員外凌準、杭州人、云其後也。 【管城】唐魏王文学凌敬…
太平広記に蜀漢の話としてこんな話が引かれていた。 『太平広記』雑録八所引『王氏見聞』 蜀有姜太師者,失其名,許田人也,幼年為黄巾所掠,亡失父母。從先主征伐,屢立功勳。後繼領數鎮節鉞,官至極品。有掌厩夫姜老者,事芻秣數十年。姜每入厩,見其小過…
『太平広記』巻第四百三十五 畜獣二 所引王子念『拾遺記』 魏曹洪,武帝從弟,家盈産業,駿馬成群。武帝討董卓,夜行失馬,洪以其所乘馬曰白鶴,與武帝乘。此馬走,唯覺耳中風聲,脚似不踐地。至深水,洪不能得渡。武帝引首。上馬,共濟深水,行數百里,瞬息…
だいぶ昔に下書きしていた記事で、内容については過去にツイートしたこともあるらしい(覚えてなかった) 曹安民、曹操の弟の子で、張繡の反乱で死んだ人物である。 安民は諱(名前)だの字だのと言われてきたが、ここに役職説を唱えたい。 当時、諱を呼ぶの…
『三国志』蜀書十 李厳伝所引「亮公文上尚書」 ……領長史綏軍將軍臣楊儀、督左部行中監軍揚武將軍臣蠟芝、行前監軍征南將軍臣劉巴、行中護軍偏將軍臣費禕、行前護軍偏將軍漢成亭侯臣許允、行左護軍篤信中郎將臣丁咸、行右護軍偏將軍臣劉敏…… 李厳弾劾文に列名…
『漢書』巻六十四上 朱買臣伝 會邑子嚴助貴幸,薦買臣。召見,說春秋,言楚詞,帝甚說之, 拜買臣為中大夫,與嚴助俱侍中。 前漢の呉*1の朱買臣は同郷の厳助の推薦により朝廷に仕えることとなった。 厳助は本来は荘助であったが、後漢の明帝の諱を避けて『漢…
手元にある『三国会要』の三国の封爵一覧を見ていてちょっと感じたこと。 封爵については調べたこともなく知識はないのだけど、県侯(県の名を冠した侯)>郷侯>亭侯のイメージがあり、『通典』によると魏はその序列らしい。 その違いに注目して蜀漢の封爵…
俗業に追われるあまり三国志への没入を忘れ早三年 行きかう人に同好の士なく、ただいたずらに年を重ねていくばかり 思い立っては一歩にして躓き、二歩歩いては三歩下がる有様 そんな折、遠方の師友の言葉は、我が心に活を与え、惰性を揺るがすのであった。 …
先日、とある人が「自分は曹丕と干支が同じ、十二支だけじゃなく十干まで同じなんですよ」とお話しされていた。 それを聞いて三国時代(後漢末、晋初含む)の人物の干支を調べてみたくなったのでやってみる。 生年がわかる人物が少ないのでやりにくそうだけ…
後漢代、宦官と清流派の争いが激しさを増し、太学は清流派に与して抵抗勢力となっていた。 霊帝はそれに対抗するため、あらたに鴻都門学という学校を設立した。 文章の才ある者や、書道の上手い人などが集められた鴻都門学であるが、「小人の才」として士大…