2015-01-01から1年間の記事一覧
『元和姓纂』巻五 牛 宋微氏之後、司寇牛父、子孫以王父字為氏。戦国時趙有牛翦、秦有牛缺。 【隴西】漢牛邯為護羌校尉、居隴西。又有牛崇、牛嘉。魏有牛金。 (中略) 【安定】状云牛金之後、逃難改牢氏、又改為遼氏。裔孫後周工部尚書、臨芤公遼允、復姓牛…
『後漢書』列伝第二十一 羊続伝 中平三年,江夏兵趙慈反叛,殺南陽太守秦頡,攻沒六縣,拜續為南陽太守。當入郡 界,乃羸服輭行,侍童子一人,觀歷縣邑,採問風謠,然後乃進。其令長貪?,吏民良猾,悉 逆知其狀,郡內驚竦,莫不震懾。乃發兵與荊州刺史王敏共…
昨日は更新できなかったが、覆水盆に返らないので仕方ない。 『旧唐書』巻十四 憲宗本紀 壬寅,改淳州為巒州,還淳縣為清溪縣,淳風縣為從化縣,姓淳于者改姓于。 唐の憲宗は名前が「純」であり、避諱のため同音の「淳」も改めさせた。 それによって、淳于氏…
天長西漢墓から出土した竹簡「戸口簿」に次のようにある。 戸凡九千一百六十九少前,口四萬九百七十少前。 東郷戸千七百八十三,口七千七百九十五 都郷戸二千三百九十八,口萬八百一十九 楊池郷戸千四百五十一,口六千三百廿八 鞠(?)郷戸八百八十,口四千…
昨日ひよこさんが次のように言っていた。 window.twttr = (function(d, s, id) { var js, fjs = d.getElementsByTagName(s)[0], t = window.twttr || {}; if (d.getElementById(id)) return t; js = d.createElement(s); js.id = id; js.src = "https://plat…
『日知録』巻二十二 都郷 集古録、宋宗愨母夫人墓誌「涅陽縣都郷安衆里人。」又云「窆于秣陵縣都郷石泉里。」都郷之制、前史不載。按「都郷」、蓋即今之「坊厢」也。漢濟陰太守孟郁堯廟碑「成陽仲氏屬都郷高相里。」 顧炎武先生が都郷について次のように述べ…
SteamでTOTAL WAR:ROME2が75%オフだったので購入したら、ダウンロードにあと4時間半かかるとのこと。 ネットワーク使うとダウンロード時間がさらに増加しそうなので、今日はブログ更新厳しそう。 いやー残念だなー、蜀漢の封爵表作ろうと思ってたのに、いや…
上の関羽動画を見たので関羽ネタを。 『蜀中広記』 雲谷雜記紹興中洞庭漁人獲一印方僅二寸其制甚古紐有連環四兩兩相貫上有一大環總之葢所以佩也漁者以為金競而訟于官辨其文乃壽亭侯印四字闗侯嘗封於漢壽亭疑必侯物遂留長沙官庫守庫吏見印上時有光焰因白于官…
『群書治要』巻四十六 典論 何進滅於呉匡,張璋,袁紹亡於審配,郭圖,劉表昏於蔡瑁,張允。孔子曰:佞人殆,信矣。古事已列於載籍,聊復論此數子,以為後之監誡,作奸讒。 中平之初,大將軍何進,弟車騎苗,并開府,近士呉匡,張璋,各以異端有寵於進,而苗…
楊彪が袁術の縁戚だったために曹操に獄に下され、孔融によって救われた話。 范曄の後漢書にある話である。 『後漢書』列伝第四十四 楊震伝附楊彪伝 時袁術僭亂,操託彪與術婚姻,誣以 欲圖廢置,奏收下獄,劾以大逆。將作大匠孔融聞之,不及朝服,往見操曰:…
『芸文類聚』巻五十九 武部 戦伐 所引、王粲『三輔論』 湘潛先生,江濱逸老,將集論雲夢,玄公豫焉。先生稱曰:蓋聞戎不可動,兵不可揚,今劉牧建紱垂芳,名烈既彰矣。曷乃稱兵舉眾,殘我●零。逸老曰:是何言與,天生五材,金作明威,長沙不軌,敢作亂違,我…
『太平御覧』人事部三十六「浴」所引、丘淵之『征斉道理記』 朱靈城東,有管寧舊宅。宅前有水,是寧常所澡浴處。 『征斉道理記』によると朱霊城の東に管寧の家があり、管寧は家の前の水場でいつも体を洗っていたという。 ここに出てくる朱霊城、どこにあった…
このところ普通の日記ブログと化していましたが、本日、無事に都落ちしたので明日からは通常営業の予定です。 都は様々な文化的刺激があって素晴らしいですな。 改めて都という存在の大きさを実感し、長安や開封など諸王朝の都に想いを馳せることができまし…
昨日、東京国立博物館で催されている始皇帝と大兵馬俑を見てきた。 兵馬俑だけでなく当時の武器や日用品などの道具類の実物が見られ、史書を読むときにより一層イメージしやすくなったと思う。 また始皇帝陵造営労働者の墓誌の分析により判明した、土器や兵…
この記事は2015/11/22, 22:51に書かれたものです。21日に書き忘れて嘆いていたところ、とある鳥さんからツイッターでタイムリープを使うよう啓示を与えられたので、試してみた。 案外簡単にタイムリープできるんやね! 今後もたまに使おう!
東京に来た 兵馬俑展とガルパンの映画見てきます
21日のチケット買ってたのに負けた つらいです…
『水経注』巻二十八「沔水」 城東門外二百步劉表墓,太康中為人所發見,表夫妻其屍儼然,顏色不異,猶如平生。墓中香氣遠聞三四里中,經月不歇。 襄陽の故城の東門から二百歩(約300メートル)のところに劉表の墓があり、晋の太康年間に発見された。 劉表夫…
凌統の子孫について書かれてたのでメモ 『元和姓纂』巻五 「凌」 衛康叔支子為周凌人、子孫以官為姓。呉志有都督凌統。晋有凌嵩。 【餘杭】凌統世居餘杭、二子、烈、封。八代孫嵩、晋広陵太守。貞元都官員外凌準、杭州人、云其後也。 【管城】唐魏王文学凌敬…
『太平広記』画二 所引『大唐新語』 閻立本為右丞相,姜恪以邊將立功為左相。又以年飢,放國子學生歸,又限令史通一經。時人為之語曰。左相宣威沙漠,右相馳譽丹青。三舘學生放散。五臺令史明經。 『新唐書』巻一百 閻立徳、立本伝 既輔政,但以應務俗材,無…
太平広記に蜀漢の話としてこんな話が引かれていた。 『太平広記』雑録八所引『王氏見聞』 蜀有姜太師者,失其名,許田人也,幼年為黄巾所掠,亡失父母。從先主征伐,屢立功勳。後繼領數鎮節鉞,官至極品。有掌厩夫姜老者,事芻秣數十年。姜每入厩,見其小過…
『太平広記』巻第四百三十五 畜獣二 所引王子念『拾遺記』 魏曹洪,武帝從弟,家盈産業,駿馬成群。武帝討董卓,夜行失馬,洪以其所乘馬曰白鶴,與武帝乘。此馬走,唯覺耳中風聲,脚似不踐地。至深水,洪不能得渡。武帝引首。上馬,共濟深水,行數百里,瞬息…
ブログの過去の記事を見直してみると、書いたことを忘れているものが多々あった。 そこで、記憶の復旧とブログ再開記念も兼ねて過去の記事の中からそれなりに評判の良かったものや、気に入っているものを紹介することとする。 決して手を抜きつつ更新数を稼…
だいぶ昔に下書きしていた記事で、内容については過去にツイートしたこともあるらしい(覚えてなかった) 曹安民、曹操の弟の子で、張繡の反乱で死んだ人物である。 安民は諱(名前)だの字だのと言われてきたが、ここに役職説を唱えたい。 当時、諱を呼ぶの…
『三国志』蜀書十 李厳伝所引「亮公文上尚書」 ……領長史綏軍將軍臣楊儀、督左部行中監軍揚武將軍臣蠟芝、行前監軍征南將軍臣劉巴、行中護軍偏將軍臣費禕、行前護軍偏將軍漢成亭侯臣許允、行左護軍篤信中郎將臣丁咸、行右護軍偏將軍臣劉敏…… 李厳弾劾文に列名…
『漢書』巻六十四上 朱買臣伝 會邑子嚴助貴幸,薦買臣。召見,說春秋,言楚詞,帝甚說之, 拜買臣為中大夫,與嚴助俱侍中。 前漢の呉*1の朱買臣は同郷の厳助の推薦により朝廷に仕えることとなった。 厳助は本来は荘助であったが、後漢の明帝の諱を避けて『漢…
手元にある『三国会要』の三国の封爵一覧を見ていてちょっと感じたこと。 封爵については調べたこともなく知識はないのだけど、県侯(県の名を冠した侯)>郷侯>亭侯のイメージがあり、『通典』によると魏はその序列らしい。 その違いに注目して蜀漢の封爵…
俗業に追われるあまり三国志への没入を忘れ早三年 行きかう人に同好の士なく、ただいたずらに年を重ねていくばかり 思い立っては一歩にして躓き、二歩歩いては三歩下がる有様 そんな折、遠方の師友の言葉は、我が心に活を与え、惰性を揺るがすのであった。 …
本日行われた三国志フェス。 都落ちした私は参加できなかったが、一昨年に続き、今回も玉璽を下賜した。 例のごとく、エンペラーオブお笑い三国志の優勝記念品である。 今回作ったのはチ【虫离】龍印、紐(持ち手)の形は“みずち”という龍の一種であり、皇帝…