雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

華陽国志人物伝 王阜

王阜

☆Data

字:成公
出身:蜀郡成都
時代:後漢(章帝頃)

☆Life Story

蜀郡太守第五倫によって孝廉に挙げられ、重泉令に任命された。
すると重泉の学校に鸞という神聖な鳥が十日あまりにわたって集まってくるという珍事が起きた。
益州太守*1に遷ると、神馬が出現するわ、甘露が降るわ、白鳥が現れるわ、で民衆はすっかり王阜に懐いてしまったんだとさ。
めでたしめでたし。

☆雲子曰…

行く先々で不思議なことが起こる、教祖体質。
宗教でも興せば良かったのに。
後漢書』に伝はないが、巻八十六 西南夷伝に登場する。名前が阜ではなく追になっているが。
『華陽国志』だけ見ると奇跡の人みたいな扱いだが、『後漢書』には、学校をたてるなどし異民族が多い益州郡を教化したことが書かれる。後漢初期の益州の異民族統治において重要な人物であるといえるかもしれない。


また彼は『東観漢記』に伝があって結構詳しい。
若い頃から学問好きで、十一歳で家を出ようとしてとめられたり、勝手に犍為の学校にいこうちして母に連れ戻されたりとアクティブだった。
益州太守となったが、辺郡であるために放縦な吏が多かった。彼は、法をしっかり適用し吏民を糺したため、よく治まった。そのため、神馬が出現したりといった奇跡がおきたという。
また、当時盛んな勢力を誇っていた大将軍竇憲は、王阜に功臣がもらう赤い礼服を与えようとしたが、王阜は受け取らなかった。また、竇憲はかつて、益州に書を与えて六百万銭を徴集しようとした。王阜は疑って、皇帝に書状を送った。
竇憲は帳下吏の李文をやって銭を徴集しようとした。王阜は皇帝の詔がまだでていないからとして、李文に銭を与えなかった。二十日あまり後にようやく詔が届いたので、李文に与えた。王阜はかなり慎重な人だったようだ。
この話は正直よくわからん。訳間違ってるかもしれない。


『華陽国志』の本文が短かったので手が抜けると思ったら、東観漢記の分量は多いし、意味とれないし、で大変だった。『華陽国志』の訳だけでやめておくべきだった……。

*1:益州という州もあるが益州という郡もあった