2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧
『水経注疏』巻二 河水二 『十三州志』曰:大河在金城北門、東流、有梁泉注之、泉出縣之南山、按耆舊言:梁暉、字始娥、漢大將軍梁冀後、冀誅、入羌。後其祖父為羌所推為渠帥、而居此城。土荒民亂、暉將移居枹罕、出頓此山、為群羌圍迫、無水。暉以所執榆鞭…
『水経注疏』巻二十八 沔水中 沔水又東南逕蔡洲、漢長水校尉蔡瑁居之、故名蔡洲。洲大岸西有洄湖、停水數十[田毎]、長數里、廣減百步,水色常緑。 楊儀居上洄,楊顒居下洄、與蔡洲相對、在峴山南廣昌里。 襄陽には蔡洲と呼ばれる地があった。 劉表配下で、…
『水経注疏』巻二十四 睢水 城内東西道北、有晉梁王妃王氏陵表、竝列二碑、碑云:妃諱粲、字女儀、東萊曲城人也。齊北海府君之孫、司空東武景侯之季女。咸熙元年、嬪于司馬氏、泰始二年妃於國。太康五年薨。營陵于新蒙之(脱落アリ)。太康九年立。碑東即梁…
劉備は除く。 刺史部 人物 時期 兼職 益州刺史 諸葛亮 建興元年(223) 丞相 益州刺史 蔣琬 建興十二年(234) 尚書令行都護仮節 益州刺史 費禕 延熙七年(244) 大将軍録尚書事 涼州刺史 魏延 建興五年(227) 督前部領丞相司馬 涼州刺史 姜維 延熙六年(24…
少年易老學難成 一寸光陰不可輕 未覺池塘春草夢 階前梧葉已秋聲 某SNSで韓国人の友達が、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」にはじまる一連の漢詩をつぶやいていた。 韓国でもこの詩有名なんだ、と思ったのと、友達は出典を朱熹『勧学詩…
※この記事に小学生は一切出てきません。 益州には巴郡という郡があった。 劉璋が益州牧であった初平元年興平二年に巴郡は巴郡・永寧郡・固陵郡の三つに分けられた。 『華陽国志』巻一 巴志 建安六年,魚復蹇胤白璋,爭巴名。璋乃改永寧為巴郡,以固陵為巴東…
タイトルが思いつかなかったのでとりあえず登場人物を並べた。 劉封と孟達が上庸で行動を共にしていたのはご存じだと思われる。 二人が行動を共にするようになった経緯は『三国志』に次のようにある。 『三国志』巻四十 劉封伝 建安二十四年,命達從秭歸北攻…
漢代、郡県の功曹以下は郡太守、県令が選ぶ。 一方で、県の令・長・丞・尉、郡の太守・丞といった高官は朝廷による任命で、郎官*1を経た者しかなれなかったといわれる。 しかし、濱口重國氏は漢碑のなかにみえる守○○令などの記述を研究し、本来朝廷による任…
昨日の記事というか30分くらい前に更新した記事は20日中に更新しようとしたことによって残念な記事になった。 文は巧遅のほうがいいようだね。 というわけで昨日の記事のさらに元ネタの『封氏聞見記』に当たってみることにした 『封氏聞見記』巻四 露布,捷…
『曹操集』文集 巻一の引く『封氏聞見記』巻四 有警急、輒露版挿羽 曹操の時代、緊急の要件を奏する場合には文書に羽を挿したという。 露版についての解釈が微妙に違うっぽいので修正中>< すいません こっち読んでください↓ http://d.hatena.ne.jp/chincho…
『太平広記』巻三百五十三 鬼三十八の引く『野人輭話』 梓州去城十餘里、有張飛廟、廟中有土偶、爲衛士。一夕感廟祝之妻、經年、遂生一女。其髪如朱、眉目手足、皆如土偶之状。至於長大、人皆畏之。凡蒞職梓州者、謁廟、則呼出驗之、或遺之錢帛、至今猶存。 …
自分用なので多分読みにくい。 解読不能。 人物 所属 時期 前職 後職 備考 夏侯淵 曹操 曹操起兵時 不明 陳留、潁川太守 騎都尉も領す 曹仁 曹操 曹操起兵すぐか 不明 廣陽太守 行厲鋒校尉 卞秉 曹操 建安 不明 不明 卞皇后の弟 梁習 曹操 并州制圧後 司空西…
積ん読処理ということで于濤(鈴木博 訳)『実録三国志』(青土社 2008)を読んでいる。 中国の研究者による三国志の研究本だが、王必の評価がやたら高くてびびった。 まず曹操が献帝のもとに王必を派遣したことを4ページ強に渡って触れ*1、最後に次のよう…
孝廉は漢の人材登用制度である。 郡太守が郡の規模に応じ、各郡から毎年若干名を推薦するシステムである。 漢では孝廉に挙げられた者は基本的にその後、郎中→県令……というように昇進していった。 このあたりのことは福井重雅『漢代官吏登用制度の研究』(創…
適当に後漢書と三国志から州吏の筆頭である別駕と治中をもってきた。 割と自分用。 間違いがいろいろあると思う。 抜けもあるかもしれない。 何か気づいたらおしえてください。 群雄じゃない劉馥と温恢はオマケ。 何が言いたいかっていうと呂布の別駕の薛蘭…
『太平御覧』巻三百四十一 兵部七十二 毦 の引く『諸葛亮與瑾書』 兄嫌白帝兵非精練、到所督則先主帳下白毦*1、西方上兵也。嫌其少也、當復部分江州兵以廣益之。 兄さんは白帝の兵が精練ではないと嫌がりますが、陳到の督する兵は先主の帳下の白眊兵であり、…
劉備が益州をすっかり制圧したころに太守に任じられた人たちを調べてて出会った夏侯纂 以前インコ氏も取り上げておられた。 http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100512/1273591360 ググったら中国のインターネット百科事典、百度百科に彼の項目があった。 http://b…
『太平広記』巻三百七十五 再生一 引く『捜神記』 晉武帝時,河間有男女相絓,許相配適。而男從軍,積年不歸。女家更以適人。女不願行,父母逼之而去。尋病死。其夫戍還,問女所在。其家具説之。乃至冢,欲哭之敘哀,而不勝情。遂發冢開棺,女即蘇活。因負還…
『酉陽雑俎』巻十四 諾臯記上 烏山下無水,魏末,有人掘井五丈,得一石函。函中得一龜,大如馬蹄,積炭五枝於函旁。復掘三丈,遇盤石,下有水流洶洶然,遂鑿石穿水,北流甚駛。俄有一船觸石而上,匠人窺船上得一杉木板,板刻字曰“呉赤烏二年八月十日,武昌王…
以前ツイッた話。 「杯中の蛇影」ということわざがある。 病は気から、と似た意味。 杯に映ったものを蛇と勘違いしてから病気になったが、それが蛇でなかったと知って快癒したという話から来ている。 『晋書』楽広伝にある話だ。 『晋書』巻四十三 楽広伝 嘗…
この糞ブログであるが、途中で面倒になって諸事情で完成させられなかった記事がたくさんある。 下書きにその残滓があるのでタイトルとコンセプトを書いてみる。 まあ読みたいというのがあれば、ちゃんと完成させることがあるかもしれないような気もしなくも…