雲子春秋

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刺史の変化

刺史、前漢武帝の時に置かれ、本来は郡県の監察・弾劾を担当し、治民行政を行うことはなかった。
後漢に入ると、次第に行政官化し、後漢末になると州牧として正式に地方行政を担当することとなったのはご存じの通りである。
そうなった背景として次のような話がある。

『続漢書』百官志五 州郡
諸州常以八月巡行所部郡國、録囚徒、考殿最。初歲盡詣京都奏事、中興但因計吏。

前漢、刺史が置かれた当初、刺史は毎年年末になると、任地から自ら報告のため都に戻っていた。*1
しかし、後漢になると、刺史自身は任地にとどまり、部下の計吏を報告に向かわせるだけとなったという。


前漢において、刺史は地方支社への長期出張のような感覚だったのかもしれない。
一方の後漢は、地方支社への異動みたいな感じか。


毎年都に戻らないことで刺史がその地に根をおろすこととなったのだ。
わずかな違いが、その後の歴史に大きな影響を与えた。

*1:初期には定まった刺史の治所もなかったという