雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

後漢

袁術の読み方は「えんすい」?

どうもご無沙汰していました、雲子です。 ブログ移転してからはじめての三国志ですね。 さて、皆さんは「袁術」をなんと読んでいますか。 呼び方なら「ハチミツ」とか「陛下」とか様々な罵詈雑言がありますが、読み方であれば多くの人は「エンジュツ」と読ん…

唐珍について

昨日の続きの唐氏シリーズ。 今日は唐珍。 唐珍は宦官唐衡や、少帝の妻の唐姫*1、荀紣の妻?の一族で売官により司空までなった人だ。 この唐珍について『広東通志』、『百越先賢志』で今まで知らなかった記述を見つけた。 『広東通志』巻四十四 人物志 唐珍…

会稽太守唐鳳と周規

実はこのブログは昔から潁川の唐氏についてしばしば取り上げてきた。 唐姫 碑文に見る唐氏の一族 今回、いくつか唐氏について発見したので1つの記事にしようかと思ったが、ちょっと長くなりそうだったので分ける。(2〜3回) 一つ目は唐鳳。これまで唐姫の…

婁圭の氷の城

前回更新から1年半も経過してしまいました。 最近はこんな動画を投稿したりしてます。 王必と応劭を広めるために始めたのに出番ほとんどなくて作戦は失敗しました。 1,000再生いけばいい方かと思ってましたが、5,000くらい再生されたものもありがたいことで…

王必(おうひつ)とはどんな人?曹操を黎明期から支えた忠臣

曹操の覇業を支えた忠臣といえば、荀紣(じゅんいく)、 荀攸(じゅんゆう)や程碰(ていいく)などが有名です。 彼らと比べるとほとんど知られていないですが、彼らに匹敵するくらい曹操の勢力拡大に貢献した王必(おうひつ)という人物がいます。 曹操から…

後漢書の元ネタ〜曹操悪評編〜

献帝の憤り−てぃーえすのワードパッド 上の記事に引用されている、献帝の曹操に対する憤りについて書かれた次の文 『後漢書』皇后紀第十下、献帝伏皇后 自帝都許,守位而已,宿衞兵侍,莫非曹氏黨舊姻戚。議郎趙彦嘗為帝陳言時策, 曹操惡而殺之。其餘内外,…

記されぬ封侯

『後漢書』列伝第二十一 羊続伝 中平三年,江夏兵趙慈反叛,殺南陽太守秦頡,攻沒六縣,拜續為南陽太守。當入郡 界,乃羸服輭行,侍童子一人,觀歷縣邑,採問風謠,然後乃進。其令長貪?,吏民良猾,悉 逆知其狀,郡內驚竦,莫不震懾。乃發兵與荊州刺史王敏共…

何進の佞臣

『群書治要』巻四十六 典論 何進滅於呉匡,張璋,袁紹亡於審配,郭圖,劉表昏於蔡瑁,張允。孔子曰:佞人殆,信矣。古事已列於載籍,聊復論此數子,以為後之監誡,作奸讒。 中平之初,大將軍何進,弟車騎苗,并開府,近士呉匡,張璋,各以異端有寵於進,而苗…

後漢書の元ネタ

楊彪が袁術の縁戚だったために曹操に獄に下され、孔融によって救われた話。 范曄の後漢書にある話である。 『後漢書』列伝第四十四 楊震伝附楊彪伝 時袁術僭亂,操託彪與術婚姻,誣以 欲圖廢置,奏收下獄,劾以大逆。將作大匠孔融聞之,不及朝服,往見操曰:…

劉表の知られざる功績

『芸文類聚』巻五十九 武部 戦伐 所引、王粲『三輔論』 湘潛先生,江濱逸老,將集論雲夢,玄公豫焉。先生稱曰:蓋聞戎不可動,兵不可揚,今劉牧建紱垂芳,名烈既彰矣。曷乃稱兵舉眾,殘我●零。逸老曰:是何言與,天生五材,金作明威,長沙不軌,敢作亂違,我…

劉表の墓

『水経注』巻二十八「沔水」 城東門外二百步劉表墓,太康中為人所發見,表夫妻其屍儼然,顏色不異,猶如平生。墓中香氣遠聞三四里中,經月不歇。 襄陽の故城の東門から二百歩(約300メートル)のところに劉表の墓があり、晋の太康年間に発見された。 劉表夫…

蜀漢の姜太師と父

太平広記に蜀漢の話としてこんな話が引かれていた。 『太平広記』雑録八所引『王氏見聞』 蜀有姜太師者,失其名,許田人也,幼年為黄巾所掠,亡失父母。從先主征伐,屢立功勳。後繼領數鎮節鉞,官至極品。有掌厩夫姜老者,事芻秣數十年。姜每入厩,見其小過…

呉の厳氏と朱氏

『漢書』巻六十四上 朱買臣伝 會邑子嚴助貴幸,薦買臣。召見,說春秋,言楚詞,帝甚說之, 拜買臣為中大夫,與嚴助俱侍中。 前漢の呉*1の朱買臣は同郷の厳助の推薦により朝廷に仕えることとなった。 厳助は本来は荘助であったが、後漢の明帝の諱を避けて『漢…

郤正の祖父郤倹の過去?

後漢代、宦官と清流派の争いが激しさを増し、太学は清流派に与して抵抗勢力となっていた。 霊帝はそれに対抗するため、あらたに鴻都門学という学校を設立した。 文章の才ある者や、書道の上手い人などが集められた鴻都門学であるが、「小人の才」として士大…

韓遂は衰退しました――漢末・魏初の涼州――

昔、東大さんとの合同誌にのせた文章を転載。 ワードのコピペでふりがなが読みにくい感じになってるけどなおすの面倒だからヨロシク! 全部で8400字くらい。 韓遂を中心に涼州の軍閥について書いたもの。 ネタがまったくないのでしょーじきつまらん。一夜漬…

後漢の学生運動

後漢代、太学生たちはしばしば集団行動を起こしていた。 『後漢書』列伝第五十五、皇甫規伝 其年冬,徵還拜議郎。論功當封。而中常侍徐璜、左悺欲從求貨,數遣賓客就問功狀, 規終不荅。璜等忿怒,陷以前事,下之於吏。官屬欲賦斂請謝,規誓而不聽,遂以餘寇…

皇甫嵩から皇甫謐へ

皇甫嵩といえば黄巾の乱平定の名将、皇甫謐は皇甫嵩の曾孫で『高士伝』や『列女伝』を著した。 『世説新語』文学第四、68注引、王隠『晋書』 謐字士安,安定朝那人,漢太尉嵩曾孫也。祖叔獻,灞陵令。父叔侯,舉孝廉。 世説新語によると、皇甫謐の祖父(皇甫…

応氏のはじまり

我々応氏がいかにして代々二千石を輩出する名家となったか、そのはじまりを紹介しよう。 『後漢書』列伝第三十八、応奉伝 中興初,有應嫗者,生四子而寡。見神光照社,試探之,乃得黄金。自是諸子宦學,並有才名,至瑒七世通顯。 後漢の初め、応嫗(嫗は名前…

両漢家学表、易

家学とは、ある一族が代々特定の学問を修めること、またその学問のこと。 易を家学とした一族について書きます。 易とはひとくちに言ってもいろいろと学派があるので先にその学派を表にしてみます。 学派 太字が創始者、太学科目とは後漢の太学での科目にな…

劉矯→陳矯

魏の司徒、陳矯はもとは劉氏だったが、母方の伯父の陳氏を嗣いで陳矯になったという。 『三国志』巻二十二、陳矯伝注引『魏氏春秋』 矯本劉氏子,出嗣舅氏而婚于本族。徐宣毎非之,庭議其闕。 そしてもとの劉氏と婚姻したため徐宣にdisられた。 さて、姓氏の…

最強伝説応劭――彼が有名になりうる大きな理由――

前言、応劭の知名度向上を願って。 許可が出たのでだいぶ昔サークルの何かにのせた応劭礼賛の文章をそのまま載せるよ ただのネタだよー! ワードのコピペでふりがなが読みにくい感じになってるけどなおすの面倒だからヨロシク! それじゃー行くよー! 4500字…

王図の著書

曹操を魏公に推薦する上表の中に領護軍将軍の王図という人がいる。 以前取り上げたが、魏(=漢末?)の漢中太守にも王図という人がいた。 http://d.hatena.ne.jp/chincho/20091214/1260729152 同一人物かはとりあえず置いとく。 曹操が冀州を平定した後に薛…

張魯、張脩、馬相の乱

また再利用更新。 そのときのツイートまとめ。たぶんブログ記事より読みやすい気がするw http://togetter.com/li/449154 五斗米道の始まりは結構謎に包まれている。一般には張魯の祖父張陵がはじめたとされているが、張脩という人物が始祖という説もある。…

中平元年のフットボール2、馬元義の捕縛

http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110928/1317139500 クッソ昔に書いた記事。 今までずっと黄巾の乱の経過を次のように思っていた。 1、張角の弟子唐客*1の密告 2、馬元義逮捕誅殺 3、黄巾蜂起 しかし、『後漢紀』を読んだらこんな感じだった。 春正月:…

鉅鹿太守、郭典

最近はツイッターでつぶやいたものを記事にする省エネ更新が多いなあ。 まあいいや。 黄巾の乱の時の鉅鹿太守、郭典という人がいる。 正史では『後漢書』の皇甫嵩伝にわずか一度登場するのみ。 『後漢書』列伝第六十一、皇甫嵩伝 嵩復與鉅鹿太守馮翊郭典攻角…

李傕政権の上軍校尉

朝につぶやいてた話。 上軍校尉、西園八校尉のトップである。 任官者は蹇碩しか知らなかったのだけど、『献帝春秋』に李傕時代の上軍校尉がでてきた。 『太平御覧』巻九十二、皇王部十七所引『献帝春秋』 五月,或欲轉乘輿幸黄白城,帝不肯。司徒趙温以帝當…

生まれた日は違えども・・・。

中國哲學書電子化計劃で太平御覧が全文検索できるようになっていたのでいろいろためしてた。 『太平御覧』卷六百四十五、刑法部十一、烹、所引『英雄記』 董卓攻得李昊、張安畢(主范)[圭苑]中,生烹之。二人臨入鼎,相謂曰:「不同日生,而同日烹。」 訳…

霊帝再評価その2、西園八校尉2

最近、霊帝は理想だけあって貫徹できなかった中途半端な皇帝という評価になって困っています。 いや、なんでもないです。 というわけで西園八校尉の続き。 前回書き忘れたのだけど、これらの西園軍の記事は、石井仁「無上将軍と西園軍――後漢霊帝時代の「軍制…

橋玄の子?

『水経注』巻二十三、汳水 (睢陽)城南二里、有『漢太傅掾橋戴墓碑』。戴字元賓、梁國睢陽人也。睢陽公子、熹平五年立。 睢陽城の南二里に、熹平五年(176年)に建立された、漢の太傅掾*1、橋戴という人の墓碑があったという。橋戴は字を元賓といい、梁国睢…

霊帝再評価その1、西園八校尉1

やるやる言って数日が過ぎたのでそろそろちゃんと書く。 一連の霊帝記事は、霊帝の中央集権・皇帝集権をテーマにお送りします。 結論から言うと西園八校尉の設置で霊帝が目指したのは皇帝集権の軍事組織整備である。 西園八校尉とは 西園八校尉は中平五年(1…