雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

廷尉嘉

後漢末の扶禁という人をご存じだろうか。
劉璋の将で、向存とともに霍峻の守る葭萌を攻めたが、失敗に終わった人である。
こいつはわりとどうでもいいのだが、扶氏という姓が気になったのでちょっと調べてみた。
『古今図書集成』に引く『尚友録』には益州の扶氏の祖について書いてあった。

扶嘉
按《尚友録》:嘉,胊䏰人。初,嘉母於湯溪水側遇龍,後生嘉。長占吉凶,巧發奇中。高祖為王時,與嘉相遇,嘉勸定三秦。高祖以嘉志在扶翼,賜姓扶氏,官至廷尉,食邑胊䏰。

胊䏰に嘉という人がいた。その母が渓流で龍に出逢い、そうして生まれたという伝説をもつ。
嘉は成長すると、占いをしたが、不思議とよく当たるのであった。
高祖劉邦が漢中王となったとき、嘉と遭遇した。
嘉は三秦地方を平定することを勧めた。
高祖は嘉の志が「扶翼」であることを思い、「扶」の姓を与えた。
官は廷尉に至り、食邑として胊䏰を賜った。


そういえば『漢書』百官公卿表をみると前漢文帝二年(前170年)、廷尉に嘉という人が就いている。
姓は明記されてないけどこれって扶嘉だったりして。