華陽国志人物伝 楊雄
楊雄
字:子雲
from:蜀郡成都
era:前漢
(揚雄と書かれることが多いがここでは華陽国志に沿って楊雄とする)
幼い頃から家は貧しく、家にはわずかな蓄えもなかった。学問を好んだが、章句の研究はしなかった。
司馬相如の文章を慕い、辞賦の制作にふけった。
成帝の叔父、車騎将軍の王音に辟召され門下史となった。
待詔に薦められ、『甘泉』、『羽猟賦』を献上し、侍郎、給事黄門に遷った。
楊雄は宮中の書庫に入りいろいろ思い、『太玄』、『法言』、『訓纂』などなどを著した。
初め、劉歆や王莽、董賢と同じ官であり、皆三公に至ったが、楊雄はただ一人官を変えなかった。
七十一歳で死んだ。
劉向親子、桓譚らから深く尊敬された。
後世のの儒学の大家らは皆楊雄の著書に注解を加えた。
なかでも呉郡の陸績は楊雄を聖人とあがめた。
楊雄の子楊烏は神童であり、七歳で楊雄の『太玄』の文にかかわったが、九歳で死んだ。
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雲子の言葉
楊雄、揚雄と書かれることの方が多い。
三国志でみかんとして知られる?陸績が登場してた。揚雄をかなり尊敬してたんだね。
揚雄が宮中の書庫で思ったことはカットしました。
横浜また負けたorz