雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

呉の厳氏と朱氏

漢書』巻六十四上 朱買臣伝
會邑子嚴助貴幸,薦買臣。召見,說春秋,言楚詞,帝甚說之, 拜買臣為中大夫,與嚴助俱侍中。

前漢の呉*1の朱買臣は同郷の厳助の推薦により朝廷に仕えることとなった。
厳助は本来は荘助であったが、後漢の明帝の諱を避けて『漢書』では厳助と書かれており、後漢では荘氏は厳氏に改姓していたようである。

『古今図書集成』巻969に引く『湖州府城池考』
(原文)城山城。在縣南五十一里。吳地志云:吳時有烏程人嚴白虎,與呂蒙相拒於此。今尚有城址
(訳文)城山城。県城の南五十一里にある。『呉地志』によると、呉の時代、烏程の人である厳白虎はこの山で呂蒙と対峙したとあり、いまなお城址が残っているという。
(原文)朱城。在縣東南二十四里。嚴白虎壻朱叔廉所築。
(訳文)朱城。県城の東南二十四里にある。厳白虎の女婿である朱叔廉の築いたもの。
『厳白虎の城』(「喚いて叫ばざれば」2008/2/12)

呉の厳氏と朱氏といえば、厳白虎の娘婿は朱叔廉といったらしい。
厳助や朱買臣の子孫と確定しているわけではないものの、呉の厳氏と朱氏は前漢代から後漢末まで通婚するなど長く親密な関係を築いていたのかもしれない。

*1:当時は会稽郡呉県