郷と戸口簿
天長西漢墓から出土した竹簡「戸口簿」に次のようにある。
戸凡九千一百六十九少前,口四萬九百七十少前。
東郷戸千七百八十三,口七千七百九十五
都郷戸二千三百九十八,口萬八百一十九
楊池郷戸千四百五十一,口六千三百廿八
鞠(?)郷戸八百八十,口四千五
垣雍北郷戸千三百七十五,口六千三百五十四
垣雍東郷*1戸千二百八十二,口五千六百六十九。
http://www.bsm.org.cn/show_article.php?id=488
河南郡巻県に属する郷の戸籍や人口を記したものであり、表にまとめると次のようになる。*2
郷 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|
東郷 | 1,783戸 | 7,795人 |
都郷 | 2,398戸 | 10,819人 |
楊池郷 | 1,451戸 | 6,328人 |
鞠(?)郷 | 880戸 | 4,005人 |
垣雍北郷 | 1,375戸 | 6,354人 |
垣雍東郷 | 1,282戸 | 5,669人 |
計 | 9,169戸 | 40,970人 |
県下の郷の構成がわかる貴重な資料である。
ほかの漢墓からも戸口簿がみつかっているっぽいので、いろいろな戸口簿を研究することで、郷のことについてはもっとわかるようになるかもしれない。
どうでもいいが、『水経注』巻二十三に引く『郡国志』によると巻県には垣雝(雍)城があったとのことであり、垣雍北郷、垣雍東郷はその城内を二郷に分けていたということだろうか。