King×King
『漢書』巻九十九 王莽伝
(王)莽妻宜春侯王氏女,立為皇后。
王莽の妻は宜春侯王氏(王咸)の娘であった。
つまり、王莽の妻も王さんだったのである。
中国は古代から同“姓”婚が禁じられているはずだ。
この婚姻に問題はなかったのだろうか。
さて、ここでちょっと余談。
このブログでは今まで分けてなかったが、姓と氏とは本来違うものである。
もともと血統を表すものとして姓があり、地位や封地などから家柄をあらわすものとして氏が発生した。*1
日本的に例えると、*2伊豆に住んだ藤原さんが伊藤さんになった。この場合、藤原が姓で、伊藤が氏である。
話を戻す。
禁じられているのはあくまでも同“姓”婚である。
この二つの王氏はあくまでも“氏”がおなじだけで、姓は違うのかもしれない。
ということで、少し見てみる。
『通志』王氏
王氏有四,有姫姓之王,有媯姓之王,有子姓之王,有外國姓之王,姬姓之王有二族,媯姓之王有一族,子姓之王有一族,外國姓之王有四族。
王氏となった姓には四種類あったという。
姫姓、媯姓、子姓、そして外国(高麗)の姓である。
『漢書』巻九十八 元后伝
黄帝姓姚氏,八世生虞舜。舜起媯汭,以媯為姓。至周武王封舜後媯滿於陳,是為胡公,十三世生完。完字敬仲,犇齊,齊桓公以為卿,姓田氏。十一世,田和有齊國,(三)〔二〕世稱王,至王建為秦所滅。項羽起,封建孫安為濟北王。至漢興,安失國,齊人謂之「王家」,因以為氏。
王莽自作の系図によれば彼の出自は、戦国時代に斉を簒奪した田氏であるという。*3
さらに田氏の姓は媯であった。ということで、王莽の姓は媯である。
次に奥さんの王氏。宜春侯の王氏の出身は済南である。*4
王莽による策命に次のようにある
黄帝二十五子,分賜厥姓十有二氏。虞氏之先,受姓曰姚,其在陶唐曰媯,在周曰陳,在齊曰田,在濟南曰王。姚、媯、陳、田、王氏凡五姓者,皆黄、虞苗裔。(中略)其元城王氏,勿令相嫁娶,以別族理親焉。
陶唐時代は媯姓、周代は陳氏、斉(春秋戦国時代)では田氏、済南にある時(漢代)には王氏であった。
姚、媯、陳、田、王氏は同族だから、王莽の一族である元城王氏はこれらの氏姓と互いに通婚してはならない。
「済南にある時(漢代)には王氏であった。」!?
……。
済南の王氏は媯姓の可能性がある。
思いっきり同姓である。
しかも通婚禁じてるのに自分自身は王氏と結婚してるとか……。
同姓かどうかははっきり断じることはできない。
しかしこれは同姓婚の疑いをかけられていてもおかしくないような婚姻であったのではないだろうか。