雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

男子たる者ちんこ失うべからず。

後漢書』列伝七十一 周嘉伝
周嘉字惠文,汝南安城人也。高祖父燕,宣帝時為郡決曹掾。太守欲枉殺人,燕諫不聽,遂殺囚而黜燕。囚家守闕稱冤。詔遣覆考,燕見太守曰:「願謹定文書,皆著燕名,府君但言時病而已。」出謂掾史曰:「諸君被問,悉當以罪推燕。如有一言及於府君,燕手劒相刃。」使〔者〕乃收燕繫獄。屢被掠楚,辭無屈橈。當下蠶室,乃歎曰:「我平王之後,正公玄孫,豈可以刀鋸之餘下見先君?」遂不食而死。

前漢宣帝のとき、周燕という人がいた。
郡に仕え、裁判に携わっていた。太守が法をまげて人を殺そうとしたので諫めたが無駄に終わり、人は殺され、彼自身もクビになった。
殺害された人の家では冤罪を訴え、国は再調査に乗り出した。
周燕は太守をかばい、全ての罪が自分にあるとし、太守や郡吏を脅して口裏合わせを頼んだ。
作戦は成功、皇帝の使者は周燕を獄につないだ。
そして、宮刑に処せられることとなったが、周燕は嘆息して、
「周の平王の後裔たる私が、ちんこきられてどうして先祖に顔向けできよう」
といって、絶食して死んだという。


当時の宮刑に対する考え方として興味深い。
あと、冤罪を訴えれば国が再調査する可能性があったというのも、当時の社会制度を示していておもしろい。