華陽国志人物伝 恬泊の士、荘遵
蜀の地方史『華陽国志』には先賢士女志という、土地の人物達の簡単な伝がある。
そこに載っている人々は正史に名を連ねる人もいれば、ここにしか残らない者もある。
そんな人物達を時々簡単に紹介することでネタ不足解消眠っている名臣・名将たちにスポットライトを当てよう。
というのがこの企画。
いくつか注意点。
1.超意訳なう
2.訳せない所は堂々とカット
3.高確率の誤訳可能性
4.原文は載せないのでここでさがしてね
5.注釈に期待しちゃダメ
というわけでなにかお気づきの点があればコメント欄とかtwitterでどんどんよろぴく☆
さて本題
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荘遵
字:君平
from:蜀郡成都
era:前漢
生まれつき淡泊、学業は精緻。大易によく通じ、老荘思想にもふけった。
常に市場で占いをしたが、その占いは人の子には孝、人の弟には悌、人の臣には忠を教えるものであったため、風俗が改善され、上下はますますむつまじくなった。
百銭得るとその日は終業、老荘を教授し、『老荘指帰』を著した。それは道書のおおもととなった。
楊雄*1は若い頃彼に師事し、其の徳を賞賛した。
杜陵の李強*2は益州刺史となると、楊雄に言う。「私は荘遵を登用したい」
楊雄「あなたはただ会うことだけはできるでしょうが、登用はできないでしょう。」
李強はそうは思わず、州に着任すると礼を修めて荘遵に会ったが、荘遵の高尚さに感服して嘆じた。
「楊雄は本当に人を見る目があるのだなぁ」
荘遵は90歳で死んだ。
楊雄による称賛の言葉は『法言』にもある。
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雲子の言葉。
荘遵の話は『漢書』にものってる。(立伝はされず)
ただし諱を避けて厳遵としてでてるけど。
ていうかぶっちゃけ楊雄のすごさを語るために利用されてるような気もしなくもないかわいそうな人だよね。
楊雄の称賛の言葉もちゃんとのってたんだけど正直なにいいたいかわからなかったのでカット。
一応その部分の原文↓
「不慕夷,即由矣。(注1)不作苟見,不治苟得,久幽而不改其操,雖隨(注2)今和何以加諸。」
注1:明本《法言》作:「不募由,即夷矣。」謂許由與伯夷也。
2:《法言》訛作隋。
古代のエライ人、伯夷と許由をつかってるのはいいんだけど華陽国志と法言で彼らの位置が逆になってるとか……。
こんな感じでゆる〜く更新する日があってもいいよね☆
明日は李弘を更新予定。なお、ベイスターズ戦の結果によっては予定が変更される場合があります。