張良から張魯へ
昨日と同じ書物から
『歴世真仙體道通鑑』巻十八 張天師
天師真人姓張氏,諱道陵,字輔漢,沛豐邑人,留侯子房八世孫也。子房初遊下邳,遇黄石公,授以素書,後從漢高帝,有功封侯,養真辟穀,師友赤松,得東園公飛步之訣,謚文成侯,黹赘人蛮伛功隱行,流芳後葉。有子名不疑,不疑次子高,高子通,通子無妄,無妄子里仁,里仁子覺,覺子起,起子大順,真人乃大順之長子也。
張魯の祖父、張道陵の伝。
張道陵は、劉邦の功臣、張良(子房)の子孫だという。
その後の系譜。
張不疑→張高→張通→張無妄→張里仁→張覚→張起→張大順→張道陵(→張衡→張魯)
確かに張良には黄石公のエピソード*1もあるしなんとなく道教と親和性が高いように思える。
また、張道陵の本籍地豊邑は張良の封地のあたり。
実際に子孫なのか、張良の子孫を名乗ってただけなのか。
『三国志』ですでに張魯の本籍地が豊だからもしかしたら、その時代にはすでに名乗った or 言われていた、はたまた
実際の子孫、かもしれない。
ちょっと調べたら*2、張魯がたてたといわれる張良廟が漢中あたりに今でもあるらしい。
ちなみに張不疑は実在。楚の内史殺害に関わったとして処罰された。