雲子春秋

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漢の中央軍

何茲全「魏晋的中軍」(『中央研究院歴史語言研究所集刊』17)を読んだので何回かに分けて要約(自分用メモを兼ねているので読みにくいと思います)。
論文のタイトルには“魏晋”とあるが、両漢の中央軍についても触れており、今回は漢の中央軍についてまとめる。


漢初、南軍と北軍
南軍:衛尉が統率、宮殿内を守衛。
北軍:中尉が統率、京城長安城)内を守衛。
※宮殿内にはさらに郎中令に所属する郎も守衛していたが、人数も少ないためそれほど重要ではなかった。


前漢武帝期、郎と南軍の分業
郎中令が光禄勳に改称、所属する郎の人数の増加
→郎が宮殿内の門戸を警備、それまで宮殿内を守衛していた衛尉率いる南軍は、宮殿の外門を守備。
さらに、期門(後の虎賁)や羽林を置き宿衛させる。


武帝期以降、北軍の変化
中尉を執金吾と改称され、緹騎(赤色の軍服を着た騎士)二百人を率い城内の守備を行う。
八校尉*1が置かれ、城外に駐屯。
城門校尉を置き、京師の城門に兵を駐屯させる。


後漢の中央軍は前漢のものとだいたい同じである。
光禄勳が宮殿の門戸に宿衛。
配下の五官中郎将、左中郎将、右中郎将がそれぞれ、五官郎、左署郎、右署郎を率い守備。
虎賁中郎将、羽林中郎将もそれぞれ虎賁郎、羽林郎を統率し宿衛侍従した。


宮門は衛尉。
宮殿の外は執金吾。
城門は城門校尉。
八校尉は光武帝の時、虎賁校尉を省き射声校尉に入れ、胡騎校尉を省き長水校尉に入れ、さらに中塁校尉を省き北軍中候を設置、五校尉とした。
新設の北軍中候は五校尉を監督。


次回は魏。

*1:中塁校尉、屯騎校尉、歩兵校尉、越騎校尉、胡騎校尉、長水校尉、射声校尉、虎賁校尉