雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

華陽国志人物伝 李弘、抑抑たり

李弘
字:仲元
from:蜀郡成都
era:前漢
若いころから五経を読んだが、章句研究をすることはしなかった。路地裏で生活したが、堅い志があった。
立ち居振る舞いは国家が師とした。徳行によって郡の功曹となったが一月で去った。
子の李贅が辱められたために人を殺した。
太守は「賢者の子が人を殺すはずない」として放免した。<<※注:太守は李弘自身に息子の罪を証明させたかった。>>
李贅はへりくだって家族に語った。李弘は亡命させた。
太守は怒って李弘を攻めた。
李弘は答えていった「李贅は殺人犯となりました。あなたは秘かに法をまげました。君子誘わずして誅なり。石碏が息子の石厚を殺したことを『春秋』は批判しています*1孔子は父子相隠*2を称します。私はだから息子を逃がしたのです。」
太守は詰問をやめた。
州は命じて従事とした。常に公正で、君主の過失を諫めることを志とした。
楊雄の称揚の言葉が法言に載っている。


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雲子の言葉。また楊雄かよ。
楊雄の言葉は長かったのでカット。
伯夷や柳下恵のように偏った思考じゃないことを褒めたりしてる。
伯夷とかって聖人のようにあがめられてるけど、楊雄は極端な人だと見てたようだ。ちょっと意外。
今日は横浜が完封負けしたのでこんなところで終了します。


ちなみに次回は今までさんざん他の人の伝にでばってきた楊雄です。

*1:衛の話、石碏は反乱者に仕えた息子石厚を殺した(『春秋』隠公四年)

*2:親子がともにかくまうこと