雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

三国志

羅甸王

『明史』巻三百十六 貴州土司 自蜀漢時,濟火從諸葛亮南征有功,封羅甸國王。後五十六代為宋普貴,傳至元阿畫,世有土於水西宣慰司。靄翠,其裔也,後為安氏。 諸葛亮は南征に功のあった済火という人物を羅甸国王に封じたという。 『続文献通考』によれば済…

張魯伝?

今日も例の魔法により時空が乱れております。 さて、とある道教系の書物に張魯の伝がある。 『歴世真仙體道通鑑』卷十九 張魯 系師張魯,字公期嗣師長子也。 好道,守真人之法。仕漢,歴典農校尉、安民中郎將、漢中南鄭二郡太守。 後隱身學道,以符法治病,…

趙韙の謎

劉焉が益州牧に任じられて洛陽を去る時、巴西郡出身で当時大倉令であった趙韙は官を辞し、劉焉に従ったという。 『三国志』巻三十一 劉焉伝 及太倉令巴西趙韙去官,俱隨焉。 『華陽国志』の劉二牧志にも同様のことが書かれているのだが、『華陽国志』の別の…

鼻祖胡質

朱熹の『胡氏族譜序』 自《宗子法》廢,而族無統,唐人重世族,故譜牒家有之。唐以後不能然,苟非世之,富貴多文儒族氏派系。 往往湮淪而莫考矣。胡氏之先自周武王封舜後,胡公滿於陳子孫以諡為姓,歴漢文恭廣公以迄晉,關內侯質公為立譜之鼻祖。相傳二十五…

楽方

『三国志』巻三十 斉王芳紀 注引『魏略』 及諸葛恪圍城,特與將軍樂方等三軍衆合有三千人……(略) 嘉平五年(253)諸葛恪が合肥新城を包囲した。 その時、張徳と共に城を守った将軍、楽方。 『三国志』での出番はこれだけだ。 さて、『晋書』を開いてみよう…

丹陽の史氏

『古今図書集成』*1に引く『江南通志』 史嵩 按《江南通志》:嵩,崇裔孫。仕呉為平越中郎將、蒼梧鬱林太守,封撫陵侯。 史嵩:史崇(後述)の裔孫。呉に仕えて平越中郎将、蒼梧太守、鬱林太守となった。 撫陵侯に封じられた。 雲子注:平越中郎将は『宋書』…

広漢の鐔氏(追記有り)

鐔氏というマイナーな一族がいる。 鐔承、字公文、蜀漢の太常。 『三国志』巻四十二 孟光伝 太常廣漢鐔承…… 注:華陽國志曰:承字公文,歴郡守少府。 鐔粲、張翼のひいひいじいさんのオトモダチ。 『三国志』巻 張翼伝注引『益部耆旧伝』 (張)浩字叔明,治…

丁固伝

昨晩、丁固が夢枕に立って 「僕を立伝して丁固信者になってよ(◕‿‿◕)」 と言ってきた。 史書に点在する記述をそのまままとめただけ。 さらにwikipediaの記述とほとんど変わらない。 1.丁固伝(◕‿‿◕) 丁固字子賤、會稽山陰人也。父覽至功曹、守始平長。固本…

陳陳丁

タイトルは陳が丁に陳べる(のべる)という意味です。他意はありません。 究明―てぃーえすのワードパッド 丁儀兄弟の子は陳寿と契約しなかったので魔法少女になれなかった。その父丁儀らの伝は残らなかった。 真偽はともかく、陳寿が三国志を作る際のエピソ…

劉敏の祖父(追記あり)

華陽国志楊雄伝の訳時間かかってるので、誰も待ってないかもしれませんがもう少しおまちください。 さて、劉敏は私の好きな三国志の人物の中でもかなり上位に来る人ですが、 その名前を聞いてすぐに何をした人か思い出せる方は少ないと思います。 劉敏は護軍…

珍姓「将匠」

古今図書集成で遊んでたら、こんな人たちがいた。 將匠彧 按《鄭樵・通志》:呉中散大夫將匠彧。 將匠熙 按《鄭樵・通志》:曲陽令將匠熙。 將匠進 按《鄭樵・通志》:晉御史大夫將匠進。 将匠紣さんは呉の中散大夫、将匠熙さんは呉の曲陽令、将匠進さんは晋…

魯粛湾(追記有り)

どうもご無沙汰です。 久々に更新します。 古今図書集成で遊んでたらなんかみつけた。 《魯肅灣》 前人 魯肅不能扶漢鼎,濕風黄葉走江灣。 丈夫一念蹉跎老,敵國孤忠指顧間。 煙點石痕生暮雨,林拖嵐影隔郷關。 年深野渡旌旗跡,槳架波聲兩岸山。 作者不詳作…

陵樹亭

『三国志』巻十荀攸伝 於是封陵樹亭侯。 荀攸が封ぜられた陸樹亭。 ここはもともと県だったらしい。 『水経注』巻二十二 東逕平陸県故城北。高后元年、封楚元王子礼為侯国。建武元年、以戸不満三千、罷為尉氏県之陵樹郷、又有陵樹亭、漢建安中、封尚書荀攸為…

もう一つの蜀書

『華陽国志』後賢志 少弟崇、字幼遠、學業淵博、雅性洪粹、蜀時東觀郎。大同後、梁州辟別駕、舉秀才、尚書郎。與壽良・李宓・陳壽・李驤・杜烈同入京洛、為二州標俊。五子情好未必能終。惟崇獨以?和,無所彼此。著《蜀書》、及詩賦之屬數十篇。其書與陳壽頗…

曹不興の龍

呉の八絶の一人、曹不興。画家である。 よく知られたエピソードは、『三国志』に引用された『呉録』のものである。 曹不興善畫,權使畫屏風,誤落筆點素,因就以作蠅.既進御,權以為生蠅,舉手彈之. 孫権の命で屏風を描いた際に、誤って筆を落として点をつ…

韋誕の子

魏の韋誕は書に巧みで、魏の宝器の銘はすべて彼が書いたといわれる。 『世説新語』にはつぎのようなエピソードが載っている。 『世説新語』巧蓺第二十一 韋仲將能書.魏明帝起殿,欲安榜,使仲將登梯題之.既下,頭鬢皓然,因敕兒孫:「勿復學書.」 明帝が…

校事盧洪

曹操は校事の盧洪と趙達に配下を監察させていた。 『三国志』巻二十四高柔伝 時置校事盧洪・趙達等,使察群下,柔諫曰:「設官分職,各有所司.今置校事,既非居上信下之旨.又達等數以憎愛擅作威福,宜檢治之.」 太祖曰:「卿知達等,恐不如吾也.要能刺舉…

安成長

安成長の呉碭という人物がいる。 『三国志』巻六十呂岱伝 建安二十年,督孫茂等十將從取長沙三郡.又安成、攸、永新、茶陵四縣吏共入陰山城,合衆拒岱,岱攻圍,即降,三郡克定.權留岱鎮長沙.安成長呉碭及中郎將袁龍等首尾關羽,復為反亂.碭據攸縣,龍在…

斯氏

呉には斯という珍しい姓の人がいる。 『三国志』巻六十賀斉伝 縣吏斯從輕俠為姦,齊欲治之,主簿諫曰:「從,縣大族,山越所附,今日治之,明日寇至.」齊聞大怒,便立斬從. 從族黨遂相糾合,衆千餘人,舉兵攻縣.齊率吏民,開城門突撃,大破之,威震山越.…

知られざる呉の人々

世間的にほとんど(全く)知られていないし、知る必要もない。 知ったところでなんの役にも立たない。光栄三国志で新武将として作るのが最大限の活用法。 作っても使いどころはないけれど……。 前置きはこのぐらいにして本題。『三国志』に(おそらく)出てい…

張裔

『三国志』張裔伝 裔自至呉数年 雍闓の反乱が起きたときに呉に流された張裔は、本伝で数年呉にいたことになっている。 が、しかし・・・ まず、張裔が流された年は雍闓の反乱が起きた建興元年(223年)である。 『三国志』後主伝 建興元年夏、牂牁太守朱褒雍郡…

軍謀祭酒

司空府または丞相府には軍師祭酒という官があった。 『三国志』では基本的に「軍祭酒」と書かれている。 これは司馬師の諱を避けたためといわれる。本当かはしらない。 (連名の際に祭酒と軍師祭酒で区別されているので別官の可能性もある?) さて、『三国…

黄門王䑛

文帝に対して帝位に就くことを薦めたメンバーの中に名を連ねる「給事黄門侍郎王䑛」 『三国志』文帝紀注 魏王侍中劉廙、辛毗、劉曄、尚書令桓階、尚書陳矯、陳羣、給事黄門侍郎王䑛、董遇等言・・・ 『三国志』での登場はここだけであるが、後の史書にも密かに…

三国志フェス

ご無沙汰です。 明日(今日)大田区産業プラザ行われる三国志フェスに早大三国志研究会として参加します。 詳しくは http://sangokushi-festival2010.sangokushi-forum.com/ をご覧ください。 我々は弩の射的と、三国志占いをやります! 暇な方はぜひご来場…

ひたすら(傅)士仁を擁護する

実は、最近西洋かぶれ気味で、イギリス貴族の本、フランス革命の本、十字軍の本などを読んでおり、三国志から完全に離れていまして、ブログ更新も滞っていたという次第であります。 そんなわけで更新ネタが枯渇していますので、(傅)士仁(以下士仁)を擁護…

盧毓の登用方針

昨日の記事で取り上げた盧毓。盧植の息子である。 彼は曹爽政権になると失脚してしまうのだが、それ以前は長く吏部尚書として人材登用に携わっていた。 その彼の登用基準は次のようであった。 『三国志』巻二十二盧毓伝 毓於人及選舉,先舉性行,而後言才. …

ちくま誤訳?

『三国志』巻二十二盧毓伝 頃之,出毓為廷尉,司隸畢軌又枉奏免官,衆論多訟之,乃以毓為光祿勳. この部分をちくま訳では しばらくして盧毓を外に出して廷尉とし、司隷校尉の畢軌もでたらめの上奏をされて免職となった。 世論はそれをとがめるものが多かっ…

聡明

久しぶりの更新ですが突然三国志クイズ!!! 八歳で親政を開始し、 十歳で論語、 十三歳で尚書、 十五歳で礼記に通じた聡明な人物は誰でしょう? 正解は曹芳。 曹爽と司馬懿に隠れて影が薄いけれど実は聡明な人物であったのかもしれない。 それとも実権がな…

遷太后

昨日の続き。 “遷太后于永寧宮”についての黒いウワサ。

南安郡群発地震

『三国志』巻四 三少帝紀 (正始二年)冬十二月,南安郡地震。(中略) (正始三年)秋七月甲申,南安郡地震。(中略) (正始)六年春二月丁卯,南安郡地震。 魏の正始年間(240-249)南安郡は三度の地震に見舞われた。 正始年間といえば曹爽が活躍していた…