南安郡群発地震
『三国志』巻四 三少帝紀
(正始二年)冬十二月,南安郡地震。(中略)
(正始三年)秋七月甲申,南安郡地震。(中略)
(正始)六年春二月丁卯,南安郡地震。
魏の正始年間(240-249)南安郡は三度の地震に見舞われた。
正始年間といえば曹爽が活躍していた時代である。
晋書(と宋書)ではこの地震と曹爽を結びつけている。
天人相関説万歳である。
『晋書』巻二十九 五行志
魏齊王正始二年十一月*1,南安郡地震。
三年七月甲申,南安郡地震。十二月,魏郡地震。
六年二月丁卯,南安郡地震。是時,曹爽專政,遷太后于永寧宮,太后與帝相泣而別。連年地震,是其應也。
この地震は、曹爽が専政し、郭太后を永寧宮に遷したために起こったというのだ。
太后は帝と別れる時に互いに泣き合ったというエピソード付きで・・・。
ところがこの“遷太后于永寧宮”には裏がある。
長くなるのでまた明日に続きます。