雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

斯氏

呉には斯という珍しい姓の人がいる。

三国志』巻六十賀斉伝
縣吏斯從輕俠為姦,齊欲治之,主簿諫曰:「從,縣大族,山越所附,今日治之,明日寇至.」齊聞大怒,便立斬從.
從族黨遂相糾合,衆千餘人,舉兵攻縣.齊率吏民,開城門突撃,大破之,威震山越.

斯従という人は、会稽郡剡県の県吏であったが、県の有力豪族で、山越とも通じており、しばしば悪事をはたらいた。
賀斉が剡県長となったときに斬られたが、千人余りが報復しにきたという。賀斉に破られたが…。


三国志』(注も含む)にはこのほかにもう一人斯氏が出てくる。

三国志』巻五十七虞翻伝注引『会稽典録』
呉寧斯敦﹑山陰祁庚﹑上虞樊正,咸代父死罪.

朱育という人の話のなかに出てくる会稽(東陽)郡呉寧の斯敦は父の死罪に代わろうとしたらしい。
立派なひとである。


実はこの斯敦という人は古今図書集成に引かれた『奇姓通』により詳しく出ている。

『奇姓通』
敦,東陽人。呉赤烏間,父偉為廷尉,失儀當斬,叩頭泣血,請以身代。呉王嘉其孝,赦偉罪,仍表其廬。

斯敦の父の斯偉は廷尉だったが、赤烏年間に礼儀にはずれた行いにより死罪にされそうになった。
斯敦が父の身代わりになることを願うと、その孝に免じて許されたという。
イイハナシダナー


斯敦の出身である東陽郡は孫皓の時代に会稽郡から分かれた。(赤烏は孫権の治世なので本当はまだ会稽郡)
斯従も斯敦も斯偉も同族で会稽の豪族じゃないかしら。


廷尉にまで登ったのに呉書に名前の載らなかった斯偉はかわいそうです。