雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

劉敏の祖父(追記あり)

華陽国志楊雄伝の訳時間かかってるので、誰も待ってないかもしれませんがもう少しおまちください。
さて、劉敏は私の好きな三国志の人物の中でもかなり上位に来る人ですが、
その名前を聞いてすぐに何をした人か思い出せる方は少ないと思います。


劉敏は護軍として王平を支えた人。
曹爽が漢中を攻めたときに諸将の反対する中、王平の作戦を支持し勝利に導いた人です。


三国志集解の引く『永州府志』にはもう少し詳しく、本人だけでなく祖父の劉優についても書かれています。

劉優、零陵人。父綽、起家彭城、出補零陵太守、遂家焉。優少有儁聲、舉孝廉。獻帝時為御史大夫、遷尚書僕射。
孫敏、弱冠與蔣琬倶知名、舉孝廉。後主時、徐侍御史、糾察名實、廷中稱當。以功封雲亭侯、加中書侍郎、拜成都尹。

劉敏は劉禅の時代に、侍御史として秩序の維持に活躍し、朝廷でふさわしいと称賛されたらしい。
その祖父の劉優であるが、孝廉に挙げられ献帝の時に御史大夫尚書僕射になったそうだ。


例のごとく古今図書集成をみるともう少し詳しく劉優について書いてあった。

按《萬姓統譜》:優,零陵人。其父綽,本彭城人,為零陵太守,因徙家焉。優少有雋聲,舉孝廉。
獻帝時,為侍御史,遷御史大夫,再遷尚書右僕射,朝綱無所不總,臺閣為之肅然。

劉優は侍御史から御史大夫尚書右僕射となった。
朝廷の綱紀を大いにおさめ、彼のために朝廷(尚書台?)は粛然としたという。


献帝の時に綱紀がおさまってた時があったように感じないけどまあいいや。


祖父の劉優と孫の劉敏、どちらも綱紀粛正に力を発揮。
血は争えないのですね。


どうでもいいけど劉敏と蒋琬の友情を描いてくれる人いないかな。

追記)T_Sさんの指摘で思い出したけど、御史大夫が置かれたのは丞相が置かれたときと同時。
劉優と劉敏で違う陣営にいたということに。
おそらく劉優は家族を零陵に残してがんばっていたところ、劉備によって零陵陥落。
孫の劉敏は劉備のもとに……って感じかな。
ていうか御史大夫になったのいつだろう。
郗慮と華歆の間だろうか。