張裔
雍闓の反乱が起きたときに呉に流された張裔は、本伝で数年呉にいたことになっている。
が、しかし・・・
まず、張裔が流された年は雍闓の反乱が起きた建興元年(223年)である。
そして、返還は鄧芝が呉に使者として訪れた際のことなので建興元年(223年)である。
流されたのと帰ってきたの同じ年じゃんwww
どうやったら数年間呉にいられるんだよっ!!
ということで、もう一度後主伝を見てみると
建興元年に朱褒が反乱を起こしたことをのせ、“先是”と述べてから雍闓の乱を書いている。
つまり建興元年の朱褒の乱より先に雍闓の乱が起きているのだ。
雍闓の乱が起きたのは実は建興元年(223年)より前の可能性もあり、その場合、張裔が数年呉にいたことに説明がつくかもしれない。
と、さんざん書いたけど、雍闓の乱が起きたのは劉備死後=章武三年=建興元年(223年)以降であることは確定的に明らかなのだ。
雍闓は劉備の死を聞いてからおごり高ぶるようになって、反乱したのである。
結論
雍闓の反乱の時期がもっと前に起こったような気がしたけどそんなことはなかったぜ。
張裔が呉にいたのは数年じゃないが大丈夫か?