趙韙の謎
劉焉が益州牧に任じられて洛陽を去る時、巴西郡出身で当時大倉令であった趙韙は官を辞し、劉焉に従ったという。
『華陽国志』の劉二牧志にも同様のことが書かれているのだが、『華陽国志』の別の部分を見ると次のようにある。
『華陽国志』広漢士女讃 王商
(王商)薦致名士安漢趙韙
益州入りしてきた劉焉に対し、王商が名士である趙韙を登用するよう勧めたというのである。
趙韙は劉焉に従って蜀入りしたんじゃ???
趙韙は劉焉と関係なく中央を離れ故郷に帰っていた?
それとも、劉焉と共に蜀へ入ったけどとくに劉焉に仕えていなかった?
あるいは、王商のすすめで劉焉から招かれたため、一歩遅れて中央を去り益州入り?
よくわからん。
よくわからないいまま記事にするのが雲子クオリティ