雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

もう一つの蜀書

『華陽国志』後賢志
少弟崇、字幼遠、學業淵博、雅性洪粹、蜀時東觀郎。大同後、梁州辟別駕、舉秀才、尚書郎。與壽良・李宓・陳壽・李驤・杜烈同入京洛、為二州標俊。五子情好未必能終。惟崇獨以?和,無所彼此。著《蜀書》、及詩賦之屬數十篇。其書與陳壽頗不同。官至上庸・蜀郡太守。

劉璋の時の蜀郡太守王商の孫、王崇。
字を幼遠といい、蜀の時に東観郎(史官)となった。
蜀が滅亡すると、梁州別駕に辟召された上、秀才に挙げられ尚書郎となった。
寿良・李宓・陳寿・李驤・杜烈ら、故の蜀の臣とともに洛陽に入った。
一緒に洛陽入りした彼ら五人の友情は必ずしも良く終わらなかったが、王崇だけは温和だったので関係を保てた?(無所彼此←これどういうことかわかりません。誰かおしえてください><)


『蜀書』および、詩や賦など数十編を著した。
彼の『蜀書』は陳寿のものと大きく違ったようである。
官位は上庸太守、蜀郡太守に至った。


陳寿の『蜀書』とおおきく違う『蜀書』
ぜひ読んでみたい。
誰の伝がたってるだろうか。劉敏とかいないかな。


余談だが陳寿は、蜀に史官がいなかったといっている。
しかし王崇の就いた東観郎は明らかに史官だし*1陳寿自身も『華陽国志』によれば東観郎についてる。
ある時期からは史官が置かれているようだ。いつからかは知らないが。

*1:後漢は東観という宮殿で歴史書を編纂していた、そこで作られた歴史書が『東観漢記』