丹陽の史氏
『古今図書集成』*1に引く『江南通志』
史嵩
按《江南通志》:嵩,崇裔孫。仕呉為平越中郎將、蒼梧鬱林太守,封撫陵侯。
史嵩:史崇(後述)の裔孫。呉に仕えて平越中郎将、蒼梧太守、鬱林太守となった。
撫陵侯に封じられた。
雲子注:平越中郎将は『宋書』百官志によれば晋の武帝が置いた。あれ……?
史懿
按《江南通志》:嵩族人懿,亦仕呉,為征南將軍、隴西太守。
史懿:史嵩の一族。呉に仕え、征南将軍、隴西太守となった。
雲子注:隴西って呉の正反対、涼州。呉滅亡後、晋に仕えて後の話か?
史韶
按《江南通志》:韶,亦嵩族人。為交州屬國都尉,封陽羨侯。
史韶:史嵩の一族。交州属国都尉となり、陽羨侯に封じられた。
雲子注:属国都尉は郡国レベルの官、州にはおかれないはず。
ツッコミどころの多い人たち。実在?
そのおおもと、史崇。
史崇
按《萬姓統譜》:崇,字伯勤,東漢杜陵人。建武中,累官青、冀二州刺史,封溧陽縣侯。天下既平,詔遣公侯皆就封,崇治尚?簡,不威而化。卒,諡壯侯,子孫因家溧陽。
史崇は字伯勤、もともとは京兆尹杜陵の人であった。建武年間に青州や冀州の刺史となり溧陽縣侯に封じられた。
このため、子孫は丹陽郡溧陽縣に住むこととなったのである。
他にもこの史氏の関係者は『古今図書集成』史姓部には見られる。
しかし、雍州も牧もない時代に雍州牧になっているなど相変わらずツッコミどころが多い。
ちなみに、『新唐書』宰相世系表の史氏を見ると
史氏 出自周太史佚之後,子孫以官為氏。漢有魯國史恭。三子:高、曾、玄。高,大司馬、樂陵安侯。二子:術、丹。丹,左將軍、武陽傾侯。孫均,均子崇,自杜陵受封溧陽侯,遂為郡人。崇裔孫宋樂郷令瓌。
ちゃんと史崇さんがいる。
完全に捏造された人物たちなのか、キャリアだけが粉飾されたのか。
謎の多い一族である。
*1:『古今図書集成』からネタをひっぱってきているとき、それは雲子が楽しようとしているときである。