雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

2011-01-01から1年間の記事一覧

とある宛陵の裁判事例

晋代の書物『広陵烈士伝』に次のような話がある。 『古今図書集成』の引く 『廣陵烈士傳』 劉雋,字幼節。遷宛陵令。到官二年,政治清平,為吏民所親。時縣有友人相過者,主人歡喜為具,持刀捕犬,因誤中客,客死,家見縣平法者云:主人本有殺心,應當伏辜。…

King×King

『漢書』巻九十九 王莽伝 (王)莽妻宜春侯王氏女,立為皇后。 王莽の妻は宜春侯王氏(王咸)の娘であった。 つまり、王莽の妻も王さんだったのである。 中国は古代から同“姓”婚が禁じられているはずだ。 この婚姻に問題はなかったのだろうか。 さて、ここで…

かっこいい名前。

ブログデザイン変更して今更春らしくなった。 春らしい記事を書いていきたいところだね。 『古今図書集成』平陽府部紀事 (崇禎)十六年二月,賀人龍伏誅兵譁於潞安,參軍魏鎮虎見殺賊直抵平陽東北喬村,鎮城守戒嚴遊撃。 参軍魏鎮虎 魏鎮虎 魏鎮虎 魏鎮虎 …

孫亮四姫

『拾遺記』 孫亮嘗作琉璃屏風,甚薄而瑩徹,毎於月下舒之。愛姫四人,皆振古絶色:一名朝妹,二名麗居,三名洛珍,四名潔華。 使四人坐屏風内,外望之,如無隔,惟香氣不通於外。為四人合四氣香,異國所出。 凡經踐躡宴息之處,香氣沾衣,歴年彌盛,百浣不歇…

爨氏

『三国志』には建寧の豪族の爨習*1という人がいる。 領軍まで昇った。「なにがむむむだ」*2の縁者でもある。 さらに、のちに彼の子孫は「爨」という民族となった。 さて、この爨氏に関して『爨龍顏碑』という碑文がある。 『爨龍顏碑』 其先世則少昊顓頊之玄…

呉王趙夫人

『拾遺記』 呉王趙夫人,丞相趙達之妹。善書畫,巧妙無雙。 能於指間,以綵絲織為龍鳳之錦。宮中號為機絕。 孫權嘗歎魏蜀未平,思得善畫者,圖山川地形。 夫人乃進所寫江湖九州、山嶽之勢,夫人又於方帛之上繍作五嶽列國地形。時人號為針絕。 又以膠續絲髮作…

蘇ったアレ

『後漢書』巻五十七 欒巴伝 欒巴字叔元,魏郡内黄人也。(好道。)順帝世,以宦者給事掖庭,補黄門令,非其好也。性質直,學覽經典,雖在中官,不與諸常侍交接。後陽氣通暢,白上乞退,擢拜郎中,四遷桂陽太守。 後漢の順帝の世、欒巴という宦官がいた。 彼…

巴把杷 

前に取り上げた抱氏の由来。 『古今図書集成』の引く『通志』にこれと似たような話がある。 『通志』杷姓 杷氏,杷闢牙切字,亦作爬,本巴氏,東樓公之後,後漢靈帝時巴康避董卓難,改為杷氏。 巴康という人がおり、董卓を恐れて、姓を杷に改めたという。 さ…

忠州

益州の巴郡は唐代に忠州と改められた。 『古今図書集成』重慶府建置沿革考 忠州 周為巴地,秦屬巴郡,漢置臨江縣,梁為郡,唐改忠州,以巴蔓子及嚴顏皆忠烈,故名。宋為咸淳府,元為忠州,明因之,編戶七里,隸重慶府。 巴の蔓子*1、そして厳顔が忠烈であっ…

厳顔自刎

『古今図書集成』に引く『續文獻通考』 嚴顏 顏,劉璋時,為巴州刺史。張飛破巴州,斥以胡不降。顏曰:我州但有斷頭將軍,無降將軍。 飛大怒,趣命斫頭。顏曰:斫頭便斫頭,何為怒耶。飛義而釋之,後竟自刎死。 巴郡太守が巴州刺史になっているなど、細かい…

杞憂な血筋

『魏書』巻九十四 抱嶷伝 抱嶷,字道徳,安定石唐人,居於直谷。自言其先姓杞 ,漢靈帝時杞匡為安定太守,董卓時,懼誅,由是易氏,即家焉。 北魏の宦官、抱嶷。 彼の先祖はもとは杞氏であった。 杞匡という人が董卓に誅殺されることをおそれ、姓を抱に改め…

羅甸王

『明史』巻三百十六 貴州土司 自蜀漢時,濟火從諸葛亮南征有功,封羅甸國王。後五十六代為宋普貴,傳至元阿畫,世有土於水西宣慰司。靄翠,其裔也,後為安氏。 諸葛亮は南征に功のあった済火という人物を羅甸国王に封じたという。 『続文献通考』によれば済…

張良から張魯へ

昨日と同じ書物から 『歴世真仙體道通鑑』巻十八 張天師 天師真人姓張氏,諱道陵,字輔漢,沛豐邑人,留侯子房八世孫也。子房初遊下邳,遇黄石公,授以素書,後從漢高帝,有功封侯,養真辟穀,師友赤松,得東園公飛步之訣,謚文成侯,黹赘人蛮伛功隱行,流芳…

張魯伝?

今日も例の魔法により時空が乱れております。 さて、とある道教系の書物に張魯の伝がある。 『歴世真仙體道通鑑』卷十九 張魯 系師張魯,字公期嗣師長子也。 好道,守真人之法。仕漢,歴典農校尉、安民中郎將、漢中南鄭二郡太守。 後隱身學道,以符法治病,…

まどか☆マギカカフェ

期間限定でまどかカフェとなっているグッスマカフェへ行ってきた。 クソ画質写真を交えながらレポしてみる。一部友人の撮った写真を使用。 このブログで完全なアニメネタは初めてかもしれない。三国志?なんだっけ?

趙韙の謎

劉焉が益州牧に任じられて洛陽を去る時、巴西郡出身で当時大倉令であった趙韙は官を辞し、劉焉に従ったという。 『三国志』巻三十一 劉焉伝 及太倉令巴西趙韙去官,俱隨焉。 『華陽国志』の劉二牧志にも同様のことが書かれているのだが、『華陽国志』の別の…

蜀郡の常氏と趙氏

『華陽国志』蜀郡士女讃から 常洽、字茂尼、江原人也。自荊州刺史遷京兆尹、侍中、長水校尉。以兵衛大駕西幸。 傕等作難、常侍衛天子左右。為傕所殺。 常洽、荊州刺史や京兆尹、侍中、長水校尉を歴任。献帝の流浪に付き従った。 常に献帝の左右を護衛したが…

鼻祖胡質

朱熹の『胡氏族譜序』 自《宗子法》廢,而族無統,唐人重世族,故譜牒家有之。唐以後不能然,苟非世之,富貴多文儒族氏派系。 往往湮淪而莫考矣。胡氏之先自周武王封舜後,胡公滿於陳子孫以諡為姓,歴漢文恭廣公以迄晉,關內侯質公為立譜之鼻祖。相傳二十五…

華陽国志人物伝 何武(ちょいと訂正)

何武 字:君公 from:蜀郡郫県 era:前漢 対策甲科(漢の人材登用試験)によって郎となり、揚州・兗州刺史、司隷校尉、京兆尹、清河・楚・沛太守、廷尉、御史大夫を歴任した。 成帝が三公を設置すると、大司空を拝命し、氾郷侯に封じられた。人となりは忠に…

ウマ!ウシ!ヒツジ!

例のごとく『古今図書集成』から 馬淵 按《萬姓統譜》:淵為隴西太守,牛崇為主簿,羊嘉為功曹,郡人謂之三牲。 後漢代、馬淵という人が隴西太守だった。 その部下の主簿は牛崇。 同じく部下の功曹は羊嘉という人であった。 馬、牛、羊の家畜コンボである。…

楽方

『三国志』巻三十 斉王芳紀 注引『魏略』 及諸葛恪圍城,特與將軍樂方等三軍衆合有三千人……(略) 嘉平五年(253)諸葛恪が合肥新城を包囲した。 その時、張徳と共に城を守った将軍、楽方。 『三国志』での出番はこれだけだ。 さて、『晋書』を開いてみよう…

丹陽の史氏

『古今図書集成』*1に引く『江南通志』 史嵩 按《江南通志》:嵩,崇裔孫。仕呉為平越中郎將、蒼梧鬱林太守,封撫陵侯。 史嵩:史崇(後述)の裔孫。呉に仕えて平越中郎将、蒼梧太守、鬱林太守となった。 撫陵侯に封じられた。 雲子注:平越中郎将は『宋書』…

廷尉嘉

後漢末の扶禁という人をご存じだろうか。 劉璋の将で、向存とともに霍峻の守る葭萌を攻めたが、失敗に終わった人である。 こいつはわりとどうでもいいのだが、扶氏という姓が気になったのでちょっと調べてみた。 『古今図書集成』に引く『尚友録』には益州の…

広漢の鐔氏(追記有り)

鐔氏というマイナーな一族がいる。 鐔承、字公文、蜀漢の太常。 『三国志』巻四十二 孟光伝 太常廣漢鐔承…… 注:華陽國志曰:承字公文,歴郡守少府。 鐔粲、張翼のひいひいじいさんのオトモダチ。 『三国志』巻 張翼伝注引『益部耆旧伝』 (張)浩字叔明,治…

いいわけ

本題の前に、陳寿と丁彌の件はネットでもすでに、2002年の時点で「逸聞三國志」さんが取り上げていらっしゃいました。 http://nobmatsu.sakura.ne.jp/itsubun/old/profile/3_2002_2.html の2002/07/13のところ さすがすぎる! さて、本題。 古今図書集成の引…

丁固伝

昨晩、丁固が夢枕に立って 「僕を立伝して丁固信者になってよ(◕‿‿◕)」 と言ってきた。 史書に点在する記述をそのまままとめただけ。 さらにwikipediaの記述とほとんど変わらない。 1.丁固伝(◕‿‿◕) 丁固字子賤、會稽山陰人也。父覽至功曹、守始平長。固本…

陳陳丁

タイトルは陳が丁に陳べる(のべる)という意味です。他意はありません。 究明―てぃーえすのワードパッド 丁儀兄弟の子は陳寿と契約しなかったので魔法少女になれなかった。その父丁儀らの伝は残らなかった。 真偽はともかく、陳寿が三国志を作る際のエピソ…

華陽国志人物伝 林閭

林閭 字:公孺 from:蜀郡成都 era:前漢 古学を好んだ。 古代には「輶車之使」という官があった。 漢が興ると、(宮中の書庫を管理していた)劉向ですらその官については聞いたことがあるというだけで、詳細には知らなかった。 ただ、林閭と荘遵だけが、この…

華陽国志人物伝 楊雄

楊雄 字:子雲 from:蜀郡成都 era:前漢 (揚雄と書かれることが多いがここでは華陽国志に沿って楊雄とする) 幼い頃から家は貧しく、家にはわずかな蓄えもなかった。学問を好んだが、章句の研究はしなかった。 司馬相如の文章を慕い、辞賦の制作にふけった。…

劉敏の祖父(追記あり)

華陽国志楊雄伝の訳時間かかってるので、誰も待ってないかもしれませんがもう少しおまちください。 さて、劉敏は私の好きな三国志の人物の中でもかなり上位に来る人ですが、 その名前を聞いてすぐに何をした人か思い出せる方は少ないと思います。 劉敏は護軍…