巴把杷
前に取り上げた抱氏の由来。
『古今図書集成』の引く『通志』にこれと似たような話がある。
巴康という人がおり、董卓を恐れて、姓を杷に改めたという。
さらに、同じく『古今図書集成』の引く『萬姓統譜』に似た話がある
『萬姓統譜』把姓
把,東樓公之後,本杞姓,避董卓亂,改為把氏。
ここでは姓が杞の人が董卓を避け、把氏に改姓したとしている。
杞姓で改姓というと抱氏を思い出す。
前回は『魏書』からの引用だったが、今度は『萬姓統譜』を見てみる。
抱姓
抱,漢末時杞康避董卓難,改姓抱。
杞康という人が董卓を避け、抱氏に改姓したとある。
『魏書』では杞匡という名前であった。
康という名前に見覚えはないだろうか。
見覚えのない人はよく注意してはじめから読み直してみるとよい。
そう、杷氏に改姓した人物、彼の名は巴康である。
巴→杷
杞→把
杞→抱
この三つの改姓エピソードがどうやら混同されているように思える。
杷と把と抱は字形がにており、混同しても仕方ない。
董卓期に改姓したのは、「巴→杷」、「杞→抱」があり、その両者を混同し合体したため「杞→把」ができた?
あるいは改姓として一番しっくりくる*1「巴→杷」だけがあり、北魏の抱嶷がそのエピソードをちょっと改竄し、自分と、由緒ある杞氏*2とを結びつけた。そしてさらに混同され、「杞→把」もできた?
正直よくわからん。
おまけ
百度百科の把姓(中国のサイト)の項目を見ると、
どうやら『萬姓統譜』の把氏の由来は『広韻』から引用したようだ。
どうでもいいけど、1828年の科挙で試験官が、受験生の把先瑋さんの名字が珍しいので調査した、というエピソードが面白い。