雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

鉅鹿太守、郭典

最近はツイッターでつぶやいたものを記事にする省エネ更新が多いなあ。
まあいいや。
黄巾の乱の時の鉅鹿太守、郭典という人がいる。
正史では『後漢書』の皇甫嵩伝にわずか一度登場するのみ。

後漢書』列伝第六十一、皇甫嵩
嵩復與鉅鹿太守馮翊郭典攻角弟寶於下曲陽,又斬之。

皇甫嵩は鉅鹿太守、馮翊の郭典張角の弟張宝を下曲陽に攻め、これを斬った。
しかし、『太平御覧』に引く『江表伝』によると、人々の語りぐさとなるような活躍をしていたらしい。

『太平御覧』巻三百十七、兵部四十八、攻囲上、所引『江表伝』
郭典字君業,為鉅鹿太守,與中郎將董卓攻黄巾賊張寶于下曲陽。典作圍塹而卓不肯。典曰:「受詔攻賊,有死而已。」使諸將引兵屯東,典獨於西當賊之衝,晝夜進攻。寶由是城守不敢出。時為之語曰*1:「郭君為塹,董將不許,幾令狐狸,化為豺虎。褚我郭君,不畏強禦,轉機之間,敵為窮虜。猗猗惠君,實克疆土*2。」*3

訳:
郭典は字を君業といい、鉅鹿太守であった。中郎将董卓とともに黄巾賊の張宝を下曲陽に攻めた。郭典は囲塹(城を囲む堀)を作ろうとしたが董卓は了解しなかった。郭典は「詔を受けて賊を攻めるに死あるのみ。」と言った。諸将に兵を率いさせて東に駐屯させ、郭典は独自に西に賊の要衝を阻み、昼夜進攻した。張宝はこれにより城に拠って守り、出撃しようとはしなかった。当時、そのために(人々が)語るには「郭君(郭典)が囲塹をつくろうとしたが、董将(董卓)は許さず、すんでのところで狐狸(のような黄巾賊)を豺虎(のような猛獣に)化かしてしまうところだった。さいわいに我らが郭君が権勢(ある董卓)を畏れず、好機の間に、敵は虜となった。うるわしい仁義ある君はまことに国土を支えた。」と。

董卓は賄賂を送らず罪せられた盧植に代わり、東中郎将&持節して下曲陽にくるものの敗北して免職となっている。
郭典がひとりがんばって黄巾賊を城内に引きこもらせなければ鉅鹿を完全に失陥、黄巾賊をより勢いづかせることになっていたのかもしれない。


どうでもいいけど、呉のことを書いた『江表伝』になんで郭典のことが書いてあるのだろう。出身も馮翊で呉とは何の関係もないし、登場人物に呉の関係者はいない。
呉の誰かの親族だったりしたのだろうか。


おまけ。
郭君為塹、董將不許xu3(暁語上)
幾令狐狸、化為豺虎hu3(暁姥上)
褚我郭君、不畏強禦yu4(疑語上)
轉機之間、敵為窮虜lu3(来姥上)
猗猗惠君、實克疆土tu3(透姥上)
郭典を称えた句は上の通り韻踏んだ感じになってるっぽい。(隋唐くらいの中古音だが)
発音はよく知らんが「暁語上」なら、暁が子音、語が母音、上が声調を表してる。
母音を見ると、語と姥がだいたい交互に、声調は上で統一されている。
漢和辞典の付録とかに、こういう発音について書いてあるものもあるので、詳しく知りたかったら漢和辞典でも見てみよう。

*1:同書巻四百九十五、人事部一百三十七、諺下に引く『江表伝』では「時人為語曰」

*2:同書巻四百九十五、人事部一百三十七、諺下に引く『江表伝』では「保完疆土」

*3:書き下し:郭典、字君業、鉅鹿太守たり。中郎将董卓と与に黄巾賊張宝を下曲陽に攻む。典圍塹を作らんとするも卓肯んぜず。典曰く「詔を受け賊を攻む、死有るのみ。」と。諸将をして兵を引きて東に屯す。典独り西に賊の衝に当たり、昼夜進攻す。宝是に由りて城守して敢えて出でず。時、之が為に語りて曰く「郭君塹を為さんとするも、董将許さず。幾ど狐狸をして化して豺虎と為さしむ。頼に我が郭君、強禦を畏れず、転機の間、敵窮虜と為る。猗猗たる恵君、実に疆土を克くす。」と。