雲子春秋

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後漢書の元ネタ〜曹操悪評編〜

献帝の憤り−てぃーえすのワードパッド
上の記事に引用されている、献帝曹操に対する憤りについて書かれた次の文

後漢書』皇后紀第十下、献帝伏皇后
自帝都許,守位而已,宿衞兵侍,莫非曹氏黨舊姻戚。議郎趙彦嘗為帝陳言時策, 曹操惡而殺之。其餘内外,多見誅戮。操後以事入見殿中,帝不任其憤,因曰:「君若能相輔,則厚;不爾,幸垂恩相捨。」操失色,俛仰求出。舊儀,三公領兵朝見,令虎賁執刃挾之。操出,顧左右,汗流浹背,自後不敢復朝請。

どうやら習鑿歯の『漢晋春秋』からの引用らしい。

『太平御覧』皇王部十七、孝献皇帝
《漢晉陽(春)秋》曰:獻帝都許,守位而已,宿衛近侍,莫非曹氏黨舊恩戚。議郎趙彥嘗為帝陳言時策,曹操惡而殺之,其餘內外多見誅。操后以事入見殿中,帝不任其忿,因曰:「君能相輔則厚,不爾,幸垂恩相舍。」操失色,俯仰求出。舊儀三公輔兵入朝,令虎賁執刃挾之。操顧左右,汗流洽背,自後不敢復朝請。


『漢晋春秋』について詳しくは以下の記事が詳しい。
『漢晋春秋』の蜀漢正統論−三国与太噺
『漢晋春秋』では漢と晋を正統王朝とする一方で、魏を正統王朝とみなしておらず、憚ることなく魏や曹操の悪評を書くことができたようである。
後漢書』は曹操に対して厳しい立場をとっており、『漢晋春秋』は非常に都合の良い史書であったのだろう。