雲子春秋

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王必(おうひつ)とはどんな人?曹操を黎明期から支えた忠臣

曹操の覇業を支えた忠臣といえば、荀彧(じゅんいく)、
荀攸(じゅんゆう)や程昱(ていいく)などが有名です。
彼らと比べるとほとんど知られていないですが、彼らに匹敵するくらい曹操の勢力拡大に貢献した王必(おうひつ)という人物がいます。
曹操からは、鉄や石のように固い志をもち、国の良吏であると褒められています。
一体どのような人物だったのでしょう。



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この記事の目次
曹操のために命懸けで献帝のもとへ
呂布を舌で殺す
金禕の反乱と王必の最期
三国志ブロガー鎮虎将軍雲子の独り言

曹操のために命懸けで献帝のもとへ

王必は曹操に初期から仕えた人物です。
曹操は初平2年(191年)に兗州牧(えんしゅうぼく)となると、
献帝のもとに使者を送ります。
使者として選ばれたのが、兗州従事(えんしゅうじゅうじ)の王必でした。
従事は州の役人で、基本的に地元からの登用なので
王必は兗州出身なのでしょう。
当時、献帝長安にいましたが、その長安は李傕(りかく)や郭汜(かくし)によって乱れており、
さらに、関東諸将(反董卓連合)との国交は断絶した状態でした。
王必は長安に向かいますが、その途中の河内郡(かだいぐん)で、太守の張楊(ちょうよう)から通行を拒まれます。
しかし、張楊の幕僚であり後に曹操に仕えることになる董昭(とうしょう)のとりなしで、通行を認められました。
しかも、曹操献帝に推薦する上表までしてもらうことになります。
董昭は兗州の出身者でしたから、王必とは同郷の誼もあったのかもしれません。
そうして長安にたどり着いた王必でしたが、長安でもまた困難に遭遇するのです。
李傕や郭汜は、「関東の諸将は自分たちで皇帝を立てようとしており、
曹操が使者を送ってきたとはいえ、それは真意ではない」
として王必を留め、その意向を拒絶しようとしました。
ここでもまた王必を助ける人物がでてきます。
当時、黄門侍郎として漢朝に仕え、後に曹操の配下となる鍾繇(しょうよう)です。
鍾繇は畜生として知られていますが、この時は李傕らに対し
「群雄割拠し、朝命に従わない者ばかりの中で、
ただ曹操だけが献帝に心をよせています。」
曹操の忠義を伝え、王必は無事に使者の任を全うすることができました。

呂布を舌で殺す


その後、兗州で曹操の親友の張邈(ちょうばく)や、
部下だった陳宮呂布を引き入れ反乱を起こしますが、
王必は曹操に反することなく仕えていたようです。
曹操が司空(しくう)となると、兗州従事から司空主簿(しくうしゅぼ)となったようで、
下邳(かひ)の戦いで呂布を捕えたときに王必は主簿として再び登場します。
曹操は捕らえた呂布を生かしたいと思い、縄を緩めようとしましたが、
王必は「呂布は強い捕虜で、その軍勢は近くにいます。緩めてはいけません」
と諫め、結局呂布は縊り殺されることになります。
王必の進言により、呂布は死ぬことになったのです。

金禕の反乱と王必の最期


王必はその後、丞相府の官吏のトップである丞相長史(じょうしょうちょうし)となって登場します。
曹操は、王必について次のような布告を出します。
「王必は、私がいばらを取り除いていたような創業時からの官吏である。
忠義でよくはたらき、心は鉄や石のように固い志をもっている国の優良な官吏である。」
王必は非常に曹操から信頼されていたのです。
さて、王必と親しくしていた金禕(きんい)という人物がいます。
金禕は郡国から会計報告等のために中央に派遣されてきた上計吏でしたが、
朝廷内の官吏や高官と結び、密かに反乱を企んでいました。
建安二十三年(218年)、曹操が鄴(ぎょう)にいる間に、金禕らは許都(きょと)で反乱を起こします。
王必は曹操から留守を預かり、許都の兵を統括して皇帝を守ることを命じられており、許都防衛のトップだったのです。
そのため、反乱ではまず王必が狙われ、王必は肩を射抜かれます。
反乱が起きた当初、王必は誰の反乱かわからず、金禕の家に駆け込みますが、
反乱軍の仲間だと勘違いした金禕の家の者は「王必を殺したか?」と問うたため、
その反乱が金禕によるものと知ることになります。
王必は、典農中郎将(てんのうちゅうろうしょう)厳匡(げんきょう)とともにこの反乱を鎮圧しますが、
十日あまりして、そのときの傷がもとで死んでしまいます。
曹操は王必の死を知って激怒し、漢の百官を鄴に呼びつけ次のように言います。
「反乱の際に消火にあたったものは左に、消火しなかったものは右につけ」と。
百官たちは消火にあたたものは無罪となると考え、皆左についたところ、曹操は彼らを皆殺しにしてしまいます。
「消火しなかったものは反乱を助けたはずはないが、消火に当たったものは本当の賊なのだ」というのです。
王必の死に対しての異常なまでの措置ですが、それほどまでに王必のことを想っていたのでしょう。

三国志ブロガー鎮虎将軍雲子の独り言

曹操の覇業には地味ながらいぶし銀のように活躍した王必のような人物がいました。
中国の研究者の于濤氏は、王必を使命をまっとうし、
曹操長安の形勢をしらせたことを高く評価しています。*1
また、許都の反乱は、漢の臣だけでなく、かつて曹操の幕僚であった者も反乱の中心にいるなど、曹操政権を揺るがすものでした。
それを命を懸けて鎮圧し、許都防衛の任を全うしたことは非常に重要なことです。
もし、王必が鎮圧に失敗していたらその後の魏の成立はなかったかもしれません。
そんな重要な人物ですが、コーエーシミュレーションゲーム三国志にはでてきていません。
大変残念なことですね。
「今回の三国志のお話はこれでおしマイケル
次回もまた雲子春秋でお会いしましょう
それじゃまたんき〜!」

*1:于濤著、鈴木博訳『実録三国志』(青土社2008、5)p208