応氏のはじまり
我々応氏がいかにして代々二千石を輩出する名家となったか、そのはじまりを紹介しよう。
『後漢書』列伝第三十八、応奉伝
中興初,有應嫗者,生四子而寡。見神光照社,試探之,乃得黄金。自是諸子宦學,並有才名,至瑒七世通顯。
後漢の初め、応嫗(嫗は名前というより“応のばあちゃん”という感じかもしれない)というものがいた。
四人の子を産んで夫を失ったが、光がやしろを照らすのを見て、その光のもとを探すと、黄金を得た。
応嫗はそれを元手に子供たちを学校にやった結果、彼らは才を発揮し名をあげ、応瑒に至るまでの七代の子孫にわたって名をあげた。
初代:応嫗
二代目:応順(東平相、河南尹、将作大匠)
三代目:応畳(江夏太守)
四代目:応郴(武陵太守)
五代目:応奉(司隷校尉)
六代目:応劭(泰山太守)応珣(司空掾)*1
七代目(応珣の子):応瑒(丞相掾、平原侯庶子、五官中郎将文学)応璩(散騎常侍、侍中、大将軍長史)
応瑒が七代目というのを言葉通りに受け取ると、上のようになり応順が応嫗の子ということになる。
ほとんどが見事に太守二千石以上の官職に就いている。
七代目がちょっと格落ち感あるが、応瑒は建安七子の一人であるし、応璩も文才で高名だったらしい。
拾った黄金を教育に使った結果、七代の長きにわたって高官を輩出しまくることになったのである。
金を教育に使うことがいかに重要であるかというお話し。
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*1:二人は兄弟