雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

後漢

霊帝再評価その2、西園八校尉2

最近、霊帝は理想だけあって貫徹できなかった中途半端な皇帝という評価になって困っています。 いや、なんでもないです。 というわけで西園八校尉の続き。 前回書き忘れたのだけど、これらの西園軍の記事は、石井仁「無上将軍と西園軍――後漢霊帝時代の「軍制…

橋玄の子?

『水経注』巻二十三、汳水 (睢陽)城南二里、有『漢太傅掾橋戴墓碑』。戴字元賓、梁國睢陽人也。睢陽公子、熹平五年立。 睢陽城の南二里に、熹平五年(176年)に建立された、漢の太傅掾*1、橋戴という人の墓碑があったという。橋戴は字を元賓といい、梁国睢…

霊帝再評価その1、西園八校尉1

やるやる言って数日が過ぎたのでそろそろちゃんと書く。 一連の霊帝記事は、霊帝の中央集権・皇帝集権をテーマにお送りします。 結論から言うと西園八校尉の設置で霊帝が目指したのは皇帝集権の軍事組織整備である。 西園八校尉とは 西園八校尉は中平五年(1…

漢・三国時代の名刺

霊帝のは今書いてるんでもうちょっとまってね☆ 角谷常子「漢・魏晋時代の謁と刺」(藤田勝久・松原弘宣編『東アジア出土資料と情報伝達 』汲古書院、2011)を読んだ。この記事はこの論文をもとにしてるのでもっと詳しく知りたい方は買うか図書館で読んでくだ…

霊帝再評価その0

王安石、田沼意次・・・etc、昔から悪役であり、貶められ続けてきた人々がいる。*1 彼らは混乱や腐敗の原因とされたが、最近になって再考され、再評価をうけている。 私も好きな政治家ベスト3に王安石と田沼意次をいれている。 後漢の霊帝というと暗愚、宦…

官僚の給与カット?

『続漢書』志第二十八、百官志五、百官奉 百官受奉例:大將軍、三公奉,月三百五十斛。中二千石奉,月百八十斛。二千石奉,月百二十斛。比二千石奉,月百斛。千石奉,月八十斛。六百石奉,月七十斛。比六百石奉,月五十斛。四百石奉,月四十五斛。比四百石奉…

後漢〜三国・晋関係史籍散佚表1−1、正史類後漢編

時代ごとに後漢〜三国・晋関係史籍が何巻確認されていたかを表にして、いつの時点で散佚したかを確認してみようという企画。 用いるのは『隋書』・『旧唐書』・『新唐書』・『宋史』・『清史稿』の経籍志とか芸文志。 各王朝の時代の間隔が近すぎたり離れす…

碑に生きた男

『隷釈』巻一、帝堯碑 (前略)故鉅鹿太守仲訢 故広宗長仲選 故呂長仲球 (後略) 帝堯碑(熹平四年:175年)の連名に、もとの鉅鹿太守仲訢、もとの広宗長仲選、もとの呂長仲球という人がいる。 この人たち、別の碑文にも連名している。 『隷釈』巻一、(成…

益州と興平改元

194年、改元が行われ、年号は初平から興平となった。 しかし、どうも益州においてはその後もそのまま初平が使われていた可能性がある。 初平は四年までしかないのだが、益州の地方史『華陽国志』では初平六年という表現が出てくる。 『華陽国志』巻一、巴志 …

応劭著『食べてはいけない2』

昨日の続き。 いろいろ 銅氣蓋熱食,氣上蒸成汗,滴下食中,即有毒。 銅の蓋をして食べ物を熱すると、気が蒸発して水滴になる、それが食べ物に落ちると毒を持つ。*1 炊湯過宿飲之有毒,盥洗則生疥。 お湯を焚いて一晩たつと毒を持ち、それで手や顔を洗うと疥…

応劭著『食べてはいけない』

前置き どうも、三国志イベントで応劭への愛を叫んでスベった雲子です。 さて、秋も深くなってきて山を歩けば山菜採りやキノコ狩りの人たちに出会います。 そんなとき毒のある植物、キノコなんかに注意しなければなりません。 そこでこの本! 応劭先生の『論…

盗賊さん、五千銭盗り忘れてますよ!

『太平御覧』巻八百三十六、銭下の引く『豫章列士伝』 施陽字季儒、為舒令。經江夏、遇賊劫奪陽物。賊去後、車上有五千錢、遣人追與。賊聞知、悉還其物、陽以付亭長。 『古今図書集成』学行典二百三十四巻に引く『南昌郡乘』 施陽,字季儒,豫章人。以德行聞…

高順騎将説への疑義

高順は騎将というイメージは根強いと思われる。 光栄の三国志11においては騎兵適性が最高ランクのSであるし、蒼天航路では弁髪で北方騎馬民族風出で立ちであった他、三国志大戦でも兵種は騎兵らしい。 こういったイメージはおそらく、高順が呂布の并州時代…

博士議郎メモ

『通典』職官典、巻七、諸卿上 (太常卿)丞:秦置一人,漢多以博士、議郎為之。 (略) (光禄卿)丞:漢二人,多以博士、議郎為之。後漢一人。 (略) (衛尉卿)丞:秦漢多以博士、議郎為之。後漢一人。 部署の副官のことを中国では丞といったが、漢代、…

薛氏系譜再考

あらゆる意味でネタになる『新唐書』宰相世系表。 何度も薛氏の系譜はネタにしたことがあったがまた今回も。 どんだけ薛氏が好きなのか。ていうか誰が得するんだろう。薛蘭好きとかこの世にいるのか??? \ここにいるぞ/ 『新唐書』巻七十三、宰相世系表…

劉焉の監軍使者と州牧について

前回の記事で述べた「刺史と牧にはそのランクの違いしかなかったのではないか」をちょっと補足してみる。 だいぶ昔にも書いたが、後漢代、刺史が軍事を行う場合、御史中丞が刺史や太守及び州郡の兵を「督」していた。 http://d.hatena.ne.jp/chincho/2011062…

劉焉は州牧を置けと言ったのか?

州の長官には州刺史と州牧の二種類あり、州牧のほうが州刺史より権限が強かった。 官位のランクである秩石も、州刺史が六百石、州牧が二千石と州牧の方が高かった。 前漢末に州刺史は州牧となったが、後漢では基本的に州刺史であった。 後漢末に州牧は復活を…

下軍校尉鮑鴻の最期

袁紹・曹操・淳于瓊を含む豪華メンバーでみんな大好きな西園八校尉。 霊帝が私財を投じて中平五年(188)八月に設立した。 同年十一月にその一員、下軍校尉の鮑鴻が同年四月に起きた汝南葛陂の黄巾反乱の討伐に差し向けられている。 んでその鮑鴻、下軍校尉…

漢末輔臣賛、陰脩

北海人雲子撰『漢末輔臣賛』十巻*1 『漢末輔臣賛』陰脩 少府識人、擢用俊秀、光明赫赫、賛陰少府 陰脩字元基、南陽新野人。蓋陰識之後也。漢末為潁川太守、挙五官掾張仲方正、察功曹鍾繇・主簿荀彧・主記掾張礼・賊曹掾杜祐・孝廉荀攸・計吏郭圖為吏。後為少…

『韓玄墓記』多分全文テキスト

清の汪応銓が長沙のバカ太守、韓玄の墓について書いた『韓玄墓記』というものがある。 ういっきーも韓玄の項で触れているので知ってる人も多いと思う。 全文テキストをhttp://www.cqvip.com/Read/Read.aspx?id=9538114で発掘したので、繁体化&日本語訳をす…

碑と史書との整合性

『後漢書』本紀巻八、霊帝紀、中平五年条 益州黄巾馬相攻殺刺史郗儉,自稱天子,又寇巴郡,殺郡守趙部,益州從事賈龍撃相, 斬之。 中平五年六月、益州黄巾*1馬相が刺史の郤倹を殺し、天子を僭称した。また、巴郡に攻め込み、巴郡太守の趙部を殺した。益州従…

段熲と段煨

昨日ツイートした話をリサイクル。環境と自分に優しい雲子である。 段熲と段煨って同姓だし、名前も微妙に似てて正直こんがらがるよね。 段熲は字を紀明、武威姑臧の人。 桓帝〜霊帝期に涼州の反乱鎮圧に活躍した。 同じく涼州で活躍し、字(あざな)に“明”…

段熲と涼州大乱

『後漢書』列伝第四十七、劉陶伝 是時天下日危,寇賊方熾,陶憂致崩亂,復上疏曰:「臣聞事之急者不能安言,心之痛者不能緩聲。竊見天下前遇張角之亂,後遭邊章之寇,每聞羽書告急之聲,心灼內熱,四體驚竦。今西羌逆類,私署將帥,皆多段熲時吏,曉習戰陳,…

益州の有力氏族(旧巴篇)

はじめに 『華陽国志』は県ごとにどのような一族が勢力をもっていたかを載せてくれてるよ! というわけで、表にしてみる。 今回は巴郡から分かれた巴郡・巴東郡・涪陵郡・巴西郡・宕渠郡だよ! あと漢中・蜀・南中があるから三回分の更新は稼げるぜ 有力豪族…

『建康実録』を読んで呉の歴史を復習してみんとす。その2、孫堅〜孫策

はじめに まだエターナってないよ! そういえば言い忘れてたけど基本意訳だから、厳密じゃないよ。 これで誤訳してもおおかた誤訳じゃないよ意訳なんだよ!とごまかせる。 本題 太祖大皇帝の姓は孫、名は権、字は仲謀、呉郡富春の人である。その出自は周の武…

応劭(笑)

『後漢書』列伝巻四十八、応奉伝、附応劭 中平二年,漢陽賊邊章、韓遂與羌胡為寇,東侵三輔,時遣車騎將軍皇甫嵩西討之。嵩請發烏桓三千人。北軍中候鄒靖上言:「烏桓衆弱,宜開募鮮卑。」事下四府,大將軍掾韓卓議,以為「烏桓兵寡,而與鮮卑世為仇敵,若烏…

ちん○

体温三十八度の中、某氏*1から更新することを強いられたのでツイッターでも言ったことを再利用。 『後漢書』列伝第五十二、陳紀伝 (陳)紀字元方,亦以至紱稱。兄弟孝養,閨門廱和,後進之士皆推慕其風。及遭黨錮,發憤著書數萬言,號曰陳子。 陳群の父、陳…

黄忠と何進その2

だいぶ昔に書いた話。 何進の命で申屠蟠という人にに手紙を書いた黄忠が劉備軍の黄忠と同一人物ではないかという説。 http://d.hatena.ne.jp/chincho/20091008/1254995653 申屠蟠の同郡なのか何進の同郡なのか。 何進は申屠蟠の同郡の奚中郎を申屠蟠のもとに…

東州人居住区と劉焉&劉璋の兵制

『華陽国志』巻三 蜀志 其大江,自湔堰下至犍為有五津:始曰白華津;二曰里津;三曰江首津;四曰渉頭津,劉璋時,召東州民居此,改曰東州頭;五曰江南津。 訳: 長江には湔水の堰から犍為に至るまでに五つの津(=渡し場)があった。始めの一つは白華津、二…

張魯の殺した「漢使」とは何か&漢中太守蘇固についての妄言

きのうツイートした話を再利用。 『三国志』巻三十一 劉焉伝 張魯母始以鬼道,又有少容,常往來焉家,故焉遣魯為督義司馬,住漢中,斷絕谷閣,殺害漢使。焉上書言米賊斷道,不得復通,又託他事殺州中豪強王咸、李權等十餘人,以立威刑。 『三国志』の劉焉伝…