雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

二人は笑林!

『笑林』という書物がある。
魏の邯鄲淳の著であり、笑い話をあつめたものだ。
が、実はもう一つ『笑林』が存在していたようなのだ。*1
著者は陸雲。陸遜の孫、陸抗の子である。
ソースはネット。http://122.11.55.148/gate/big5/www.dfzb.suzhou.gov.cn/dfwh/127225.htm
あと古今図書集成に『陸雲笑林』からの引用がある。

『古今図書集成』經濟彙編考工典 第二二四巻
《陸雲笑林》:漢人適呉,呉人設筍,問所煮何物,曰:竹也。歸煮其簣,不熟,謂其妻曰:呉人欺我如此。

漢人*2が呉に行った。筍を調理していた呉人に何を煮ているのか尋ねた。呉人「竹だよ」漢人は帰った後、竹で作ったかごを煮たが、食べられるようにはならなかった。そして彼は妻に言った。「呉の人はこうして私をだますのだ」


古今図書集成で“笑林”と検索してもらえばわかるのだが、実は『笑林』には他にもいくつか呉の話がある。
たとえば、こんな話。

沈珩弟峻字叔山,有名譽而性儉恡。張温使蜀入内,良久出。語温曰:向擇一端布,欲以送卿,而無麤者。溫嘉其能顯非。

沈珩の弟は沈峻といい、字を叔山といった。名望あったがケチだった。張温が蜀に使者として行くことになり、彼を訪ねた。彼は家に入りしばらくして出てきた。
そして張温にこういった「餞別に布きれを一枚上げようと思ったんだけど、ちょうどいい粗末なのなかったわwww」
張温はここまで自分の欠点をさらけ出せることに感心したという。
雲子曰く:自分で欠点をさらけ出せる人って逆に嫌みがなくて結構好き。

呉人至京,為設食者有酪酥,未知是何物也,強而食之歸吐,遂至困頓謂其子曰:與傖人同死亦無所恨,然汝故宜慎之。

呉の人が京に行き酪酥(乳製品ヨーグルト?チーズ?よくわかんね)をふるまわれた。彼は何か知らなかったが無理してこれを食べ、帰ってから吐いた。
困頓して子に言った「庶民のように死ぬのは恨まない、しかしお前はこれを食ってはならぬ」
雲子曰く:たぶん、乳製品にあたって腹をこわしたのに、もう死ぬ前提でお話をすすめているのが笑いどころ?


『笑林』の呉関連エピソードは邯鄲淳のものではなく、この陸雲のものであったのではなかろうか。
ちなみに邯鄲淳先生の方は甲乙といった登場人物が多い様な希ガス


さっき漢籍電子文献で笑林の輯本を発見したので今後笑林関連の更新が増えるでしょう。

*1:厳密にいうと後世もう数種類『笑林』が存在していた。詳しくは各正史の経籍志を参照のこと

*2:蜀漢の人のことであろう。