2012-05-09 劉備と公安の由来 後漢 三国志 『太平御覧』巻一百六十七 州郡部十三 山南道上 荊州 所引『荊州記』 蜀主敗于襄陽、南奔荊州。呉大帝擢為左将軍・荊州牧、城此而鎮之。時號蜀主為左安軍、故名其城曰公安。 劉備は襄陽で敗れて南へ逃れた。劉備は孫権により左将軍・荊州牧となり、この城(孱陵)に駐屯した。その時劉備は左安軍と号したので、この城を公安と名付けた。 劉備軍の荊州における中心地、公安の地名の由来。 劉備が左安軍と号していたというけどどのような由来があるのだろう。 軍を撫安する左将軍ってことだろうか。 (公安と左安軍って一文字しかかぶって)ないじゃん