雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

蔡瑁のおうち、楊儀のおうち、楊顒もいるよ!

『水経注疏』巻二十八 沔水中
沔水又東南逕蔡洲、漢長水校尉蔡瑁居之、故名蔡洲。洲大岸西有洄湖、停水數十[田毎]、長數里、廣減百步,水色常緑。
楊儀居上洄,楊顒居下洄、與蔡洲相對、在峴山南廣昌里。

襄陽には蔡洲と呼ばれる地があった。
劉表配下で、後に長水校尉まで昇った蔡瑁が住んでいたためその名がつけられたという。
さらに蔡洲の岸の西には洄湖という湖があった。
その湖の上流には楊儀が住んでおり、下流には楊顒が住んでいたという。*1
楊儀といえば諸葛亮の長史で、魏延の首を踏みにじるなどの華々しい功績で有名だ。
楊顒も目立たないが、楊儀の親戚で、一応『三国志』に引かれた『季漢輔臣賛』の注の『襄陽記』で事跡が伝わっている。
蜀に仕えて諸葛亮にたいへん気に入られた人だ。


蔡瑁楊儀、楊顒は結構ご近所さんだったのかも。
家がどこにあったかまで載せてくれる水経注おもしろいです(^^)


追記)いのひとさんからコメントで情報をいただきました。ありがとうございます。

湖の名前となっている、「さんずいに回」の漢字(私の環境だと出ていませんが)は「流れの渦巻く」という意味らしいです。ですので、この湖にも流れがあって、そこから上流・下流という言い方ができるのかもしれません。
後、中国の論文のようなものでこの湖に言及があるものがありましたが、上[シ回]=湖の北岸、下[シ回]=湖の南岸と堂々と書いてありました。ただ、どこからこの解釈ができたのかはわかりませんが。

なるほど、流れのある湖だったと考えるとすっきりします。

*1:湖に上流も下流も無いと思いますが上洄、下洄の適切な訳が思いつきません><