雲子春秋

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五斗米道と斬邪の剣

五斗米道に伝わるアイテム、斬邪の剣というものがあったという。

『古今図書集成』博物彙編神異典 神仙部 列傳 張道陵 所引『四川總志』
漢張道陵,初入蜀閬中。居鶴鳴山煉丹修道。感老君,授以祕籙,遂領弟子趙昇王長來雲臺山煉大丹,服之。漢永壽二年,自以功成道著,乃於半崖躍入石壁中,自崖頂而出,因成兩洞崖。上曰峻仙洞崖,半曰平仙洞。是年九月九日,將諸祕籙斬邪一劍玉冊玉印授長子衡,乃與夫人孫氏登雲臺峰,白日昇天,年一百二十三歲。

『古今図書集成』方輿彙編山川典 龍虎山部 外編 所引『貴溪縣志』
漢張道陵,字漢輔,留侯九世孫也。生於吳之天目山,身長九尺二寸,龐眉廣顙,朱項?睛,望而知其非塵世人也。杖策由淮入鄱陽,上龍虎山,合九天神丹。訪西源,獲制命五嶽攝召萬靈及神虎祕文於壁魯洞。俄往嵩山石室,得黃帝九鼎書。感元元老君親降於鶴鳴山,授以經籙,於是分形示化,筯立二十八治以應二十八宿。交通神明,品配陰陽,禦災捍患。如發鹹泉,破鬼城之類,多著西蜀,不可殫述。永壽二年,出三五斬邪雌雄劍,陽平治都功玉印,授其嗣人。傳之世世於雲臺山,白日上昇。住世一百二十三歲,詳載金華宋濂序。

『古今図書集成』博物彙編神異典 神仙部 列傳 張魯 所引『徐州志』
張魯,字公期,衡之子。初,道陵以諸品祕籙斬邪二劍玉冊玉印授子衡,衡授魯,魯得之以符法治病,病立愈。世號嗣卿。後仕漢為漢中太守,曹操將攻漢中,魯以手板畫地,即成巨河,怒濤洶湧,兵不能濟,其將復統水兵至岸。魯又以手板畫其河中,輒出一峰,高千餘丈,兵不能進。操遂入南鄭,魯乃奔入巴中。後劉璋失蜀,先主舉兵向公期。公期脫化歸真,隱形仙去。

長いのでいちいち訳さないが、それぞれをつまみつつ要約。
五斗米道の開祖、張道陵は鶴鳴山で修行し、老君から祕籙*1を与えられた。
永寿二年に九月九日、祕籙や陽平治都功*2の玉印、三五斬邪雌雄の剣などを長子の張衡に与え、百二十三歳で昇天した。
張魯は父の張衡からそれらのアイテムを相続し、病気を治す道術を得た。
曹操が攻めてくると、手で地面に川を描くと、それが実体化し敵兵はわたれなかった。敵の水軍が岸まで来ると、今度はその河に峰を描き、作り出して進ませなかった。


張魯の得た力ヤバイ。
五斗米道の教主にはこのような力を得るアイテムが受け継がれていたのだ。


さて、調査中にたまたまみつけた以下の論文によると
桜井幸江『明代の神仙小説について』(「お茶の水女子大学中国文学会報8」57-73) (pdf注意)


明代に書かれた神仙小説に『張道陵七試趙昇』というものがあったようである。
それは http://www.millionbook.net/gd/f/fengmenglong/ysmy/013.htm で読める模様(簡体字中国語)
剣についての部分を取り出してみると。

那時廣漢青石山中,有大蛇為害。晝吐毒霧,行人中毒便死。真人又去剿除了那毒蛇。山中之人,方敢晝行。順帝漢安元年,正月十五夜,真人在鶴鳴山精舍獨坐,忽聞隱隱天樂之聲,從東而來,鑾佩珊珊漸近。真人出中庭瞻望,忽見東方一片紫云,云中有素車一乘,再再而下。車中端坐一神人,容若冰玉,神光照人,不可正視。車前站立一人,就是前番在豫章郡所遇的繡衣童子童子謂真人曰:“汝休惊怖,此乃太上老君也。”真人慌忙禮拜。老君曰:“近蜀中有眾鬼魔王,枉暴生民,深可痛惜。子其為我治之,以福生靈,則子之功紱無量,而名錄丹台矣。”乃授以《正一盟威秘錄》,三清眾經九百三十卷:符錄丹灶秘訣七十二卷:雌雄劍二口:都功印一枚。又囑道:“与子刻期,干日之后,全于閬苑。”真人叩頭領訖,老君升云而去。

当時広漢は毒を吐く大蛇の害に悩んでいた。
漢安元年一月十五日、張道陵は鶴鳴山で太上老君から「蛇倒してね☆」と頼まれ、『正一盟威秘録』・『三清衆経』・『符錄丹灶秘訣』・雌雄の剣二振り・都功印を授けられたという。


この雌雄の剣が、さきの斬邪の剣であると思われる。
また最初にあげた情報源の『四川總志』は明の万暦九年から編纂されたもの、『貴溪縣志』・『徐州志』(『徐州府志』)は清の同治年間の成立である。(追記:完全に年代ミス><同治年間の版本があるという話だった模様。古今図書集成より後に成立したことになってまうw 忘れてください。goushuさんご指摘ありがとう御座いました。)


これらの書物のソースはこの『張道陵七試趙昇』という小説なのではなかろうか。


追記)
『正統道蔵』収録のいろんな本にも斬邪の剣のことがでてきた。
どっちが先かようわからん><

*1:道教の神秘の文書

*2:治都功:道教の役職名