雲子春秋

「うんししゅんじゅう」です♡ 三国志とか好きです♡

于濤『実録三国志』での王必の評価が高い件

積ん読処理ということで于濤(鈴木博 訳)『実録三国志』(青土社 2008)を読んでいる。
中国の研究者による三国志の研究本だが、王必の評価がやたら高くてびびった。
まず曹操献帝のもとに王必を派遣したことを4ページ強に渡って触れ*1、最後に次のように述べている。

曹操がこれほど周到に対処できたのは、かならずや初平三年における長安の形勢についてきわめて緻密な理解を有していたからにちがいない。(略)現在、目にすることのできる、当時のこまごました歴史の情景を記した断片からみると、王必が使命をまっとうして戻ったからこそ、曹操はやっと長安の形勢を知ることができたのである。(p207-208)

曹操がその後の献帝奉戴だとかに成功したのは、このとき王必がしっかりと長安の様子や献帝の様子など必要な情報を集め、曹操に伝えていたからなのだ!


また、許都城内の警備についての話で、

曹操が任命、派遣した腹心の王必は、(略)兵を率いて許都城に駐屯して守備した。(略)曹操の腹心として「披荊棘吏」〔苦労して新しい道を切り拓いていく者〕と称えられた曹操の丞相府の要人が、建安年間に長期にわたって政権の中核から離脱していたのは正常ではない。合理的な説明は、王必が許都を監督、管理し、かたときも離れられなかったということしかありえない。(略)王必の身分が領長史〔兼任長史〕、すなわち丞相府の職務を兼任していたが(略)王必の本官は後漢朝の官で、もっぱら許都の警備をつかさどっていた可能性が大きい。(P257-258)

とある。
ここで于濤氏は許都が軍事的に管理され、三重の警備があったとしている。
そのうちのひとつである許都城内の警備の責任者を、王必が長きにわたり勤めていたというのである。


これを総合すると王必は献帝奉戴とその後の献帝掌握に関して非常に重要な役割があったといえるのだ。
王必いなかったら魏なんて国うまれなかったんじゃね?


世間に流布する書物にここまで王必を評価するものがかつてあっただろうか。*2
これは王必に関する正しい評価である。
これほどすごい人物なのに三国志12で王必が出なかったらさすがにびびるわ。
もし出なかったらみんな新武将エディットでつくるんだぞ☆
※最低でも武力70統率70知力80政治80魅力100以上の能力にすること

*1:当然董昭だとか鍾繇の話が含まれる

*2:ネット上にはいくつか存在が確認されている。あのブログとかこのブログとか