鄧艾の剣
梁の陶弘景による『古今刀剣録』から。*1
『古今刀剣録』
鄧艾,年十二,曾讀陳太丘碑,碑下掘得一刀,鄢如漆,長三尺余。刀上常有氣淒淒然,時人以為神物。
鄧艾は十二才で太丘長の陳寔*2を称えた陳太丘碑を読み、碑の下から一振りの刀を掘り出した。
それは黒きこと漆のごとく、長さは三尺余りであった。
刀からは常に凄然とした気が発せられていたので、人々は神物だと思った。
※凄然:寒く冷たい、ものさみしい
これがねんがんのアイスソードか。
陳太丘碑といえば鄧艾の元の名前、鄧範、字士則はこの碑の「文は世に範たり、行は士の則たり」という文にちなんでいる。
『三国志』巻二十八 鄧艾伝
年十二,隨母至潁川,讀故太丘長陳寔碑文,言「文為世範,行為士則 」,艾遂自名範,字士則。
でこの碑との出会いも十二才の頃。
つまり碑の文面に感銘を受けて、そのままその碑の下を掘っちゃたわけだ。
おいおいwww
感銘受けた碑の下普通掘らないだろwww
「な、なんてすばらしい碑文だ…!よ、ようしおじさん掘っちゃうぞぉ!!」ってか!
どう考えてもおかしいw
ぐうの音も出ないほどの畜生である。
後にその陳寔の曾孫の陳泰とは対蜀戦線で共闘している。
「えっその剣ひいじいちゃんとこからとったんスか?人様の碑文の下掘るなんてスゲー度胸あるんスね。尊敬しちゃいますわ」
ってな感じで皮肉られてたに違いない。*3
ちなみに彼ら二人は演義だと忘年の交という契りを結んでるくらい仲良し。もしかしたら鄧艾と陳寔の関係を踏まえた設定なのかもしれない。