雲子春秋

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なれる!SR(尚書郎)

蔡質『漢儀』(『漢官典職儀式選用』)には尚書郎の選用方法、昇進過程が載っている。

『続漢書』百官志第二十六 少府 注引『漢儀』
尚書郎初從三署詣臺試,初上臺稱守尚書郎,中歲滿稱尚書郎,三年稱侍郎。(凡三十四人、選吏能者為之。*1)客曹郎主治羌胡事*2,劇遷二千石或刺史*3,其公遷為縣令,秩滿自占縣去,詔書賜錢三萬與三臺祖餞,餘官則否。治嚴一月,準謁公卿陵廟乃發。

誤訳&注しながら尚書郎になるための方法を解説!

1.まず孝廉に推挙されるなどして、三署郎になろう!

※孝廉:郡国の長官に「孝」を見せつけたものが推薦される漢代の人材登用法の一種。
その倍率なんと1/200000
※三署郎:左・右・五官の郎のこと。ランクは比三百石。各中郎将に率いられて宮廷の警備を行う。孝廉に推挙されると、まず郎になった。五十歳以上の孝廉は五官に配属された。
三署郎になってようやく国家公務員のスタートラインに。

2.三署郎になったら台試を受けよう!

三署郎が台試を受け、尚書台に入った。
※台試:詳細不明だがおそらく昇進試験。後漢代には他にも課試などがあった。
台試に合格してようやく尚書台に入れるぞ!

3.半年の研修期間がんばろう!

尚書台にはいってすぐは「守尚書郎」として半年の研修期間がある。故事やら何やら覚えることがいっぱいで大変だけどがんばろう。*4
※守:「仮の」という意味がある。太守なども最初の一年は「守太守」だったとされ、その期間を無事に勤めることではれて正式の官となった。
※故事:いままで国が様々なことについてどのような判断を下してきたかなどの判例。慣習法の役割をもった。尚書が管理していた模様。

4.三年がんばろう!

半年の研修を終え、ようやく正式な尚書郎になったキミ。まずはおめでとう。
三年がんばると尚書侍郎(四百石)と名乗れるようになるぞ。
尚書郎と尚書侍郎の間に名前以外の違いがあったかはよくわからないぞ!(情報求ム)
ただ少なくとも年数が長いということで尊重はされたんじゃないかな!

5.よかったね。県令に昇進だ。

がんばったね!任期を終えると県令(千石)だよ!
たくさん餞別もらえるよ!(後述)よかったね!

補)

補足1
尚書が任期を終え県令になると、詔により陛下から三万銭、三台から餞別を受け、服装等を整えて一ヶ月、公卿の陵墓に詣でてから出発した。*5
※三台:中台:尚書、憲台:御史、外台:謁者、の三つの役所のことらしい。


補足2

後漢書』列伝第二十三 鄭弘
舊制,尚書郎限滿補縣長令史丞尉。弘奏以為臺職雖尊,而酬賞甚薄,至於開選,多無樂者,請使郎補千石令史為長。

昔の制度だと尚書郎(四百石)が任期を終えると県長(三百〜四百石)となり尚書令史(二百石)は丞(四百石)・尉(二百石)となった。
章帝のころ、尚書令の鄭弘が上奏した。
尚書台の職は尊ばれてるわりに報賞少なすぎ。選考になってもみんなテンションだだ下がりなんだわ。尚書郎は千石レベルの官、令史を長(三百〜四百石)の官に昇進するようにしてくんない?」
この意見は裁可された。


尚書郎の昇進はこんな感じ。誤訳あるかも。
陶謙は『呉書』だと孝廉から尚書郎を拝したとなってるんだけど、おそらく郎中になってから台試を受け尚書郎になったんだろうね。
他にも孝廉から尚書郎になってる人は史書に散見されるんだけど、省略されてるだけでみんなこんな風に昇進していたんだと思われる。

*1:『北堂書鈔』より

*2:「客曹郎主治羌胡事」は尚書の昇進過程ではなく、各種尚書の説明であり、これの前に他の尚書の説明もあったと思われる。

*3:遷は曹の誤りで劇曹尚書のことか?後に劇曹尚書が置かれたという話がある。二千石と刺史のことを掌った?あるいはそのまま劇遷と読んで高い業績を上げた人が二千石の官か刺史になったということなのか?二千石と六百石の刺史じゃ差がありすぎる気がする。よくわからん。情報求ム。

*4:『通典』の注だと守尚書郎を尚書郎中とする

*5:「其公遷為縣令,秩滿自占縣去」の訳よくわからん。もしかしたら県令の任期を終えてからの話かもしれない。というかそう思ったんだけど、尚書が出発する前に陵墓にお参りする方が理が通る気がするのでこういう訳にしました。訂正待ち。