三国志
昔、東大さんとの合同誌にのせた文章を転載。 ワードのコピペでふりがなが読みにくい感じになってるけどなおすの面倒だからヨロシク! 全部で8400字くらい。 韓遂を中心に涼州の軍閥について書いたもの。 ネタがまったくないのでしょーじきつまらん。一夜漬…
皇甫嵩といえば黄巾の乱平定の名将、皇甫謐は皇甫嵩の曾孫で『高士伝』や『列女伝』を著した。 『世説新語』文学第四、68注引、王隠『晋書』 謐字士安,安定朝那人,漢太尉嵩曾孫也。祖叔獻,灞陵令。父叔侯,舉孝廉。 世説新語によると、皇甫謐の祖父(皇甫…
久しぶりの更新。 野球シーズンでブログはオフシーズンだからしゃーなし。 『晋書』によると、石に刻まれた「牛(牛氏)が馬(司馬氏)の後を継ぐ」という文を信じた司馬懿によって牛金は毒殺されたという。 『晋書』巻六、元帝紀 初,玄石圖有「牛繼馬後」…
魏の司徒、陳矯はもとは劉氏だったが、母方の伯父の陳氏を嗣いで陳矯になったという。 『三国志』巻二十二、陳矯伝注引『魏氏春秋』 矯本劉氏子,出嗣舅氏而婚于本族。徐宣毎非之,庭議其闕。 そしてもとの劉氏と婚姻したため徐宣にdisられた。 さて、姓氏の…
『隷続』巻第十五にある『黄龍甘露碑』 建安二十四年に黄龍が見えたことを記念して建てられたという。 二つの碑があり、二つ目に建安二十六年とあるが、『隷続』の編者は二つの碑を同時期に建てられたものではないとするため、一つ目の碑の建立も建安二十六…
ちょっとまえにつぶやいたが、私は恥ずかしながら劉備の故郷の楼桑村が『三国演義』あるいはそれに先行するなんらかの三国志物語の創作であると認識していた。 ところがどっこいすっとこどっこい『水経注』にそれはあった。 『水経注』巻十二、巨馬河 又東逕…
前言、応劭の知名度向上を願って。 許可が出たのでだいぶ昔サークルの何かにのせた応劭礼賛の文章をそのまま載せるよ ただのネタだよー! ワードのコピペでふりがなが読みにくい感じになってるけどなおすの面倒だからヨロシク! それじゃー行くよー! 4500字…
一説によると厳顔は板楯蛮であるという。 一説によると傅士仁ははじめ公孫瓉に仕え、後に趙雲とともに劉備に従ったという。 一説によると楽進は楽毅の子孫であるという。 一説によると少帝は道術を使って生き長らえて朝鮮に逃れ、その子孫が日本に渡り東漢氏…
今日聞いた話 昨年pixivで行われた三国志大戦TCGカードイラストコンテストだかいう企画で王必を描いた人がいたらしい。 王必ウォッチャーの私でもさすがにpixivで王必を検索したことはなかったので知らなかった。 http://www.pixiv.net/member_illust.php?mo…
曹操を魏公に推薦する上表の中に領護軍将軍の王図という人がいる。 以前取り上げたが、魏(=漢末?)の漢中太守にも王図という人がいた。 http://d.hatena.ne.jp/chincho/20091214/1260729152 同一人物かはとりあえず置いとく。 曹操が冀州を平定した後に薛…
元号は基本的に中国古典から取られる。現在の元号、平成は『史記』とか『偽古文尚書』からとられている。 江戸時代最後の元号、慶応(1865−1868)、今となってはその年号をとった慶応義塾(現慶應義塾大学)のほうが有名だろう。 この慶應という元号の出典は…
また再利用更新。 そのときのツイートまとめ。たぶんブログ記事より読みやすい気がするw http://togetter.com/li/449154 五斗米道の始まりは結構謎に包まれている。一般には張魯の祖父張陵がはじめたとされているが、張脩という人物が始祖という説もある。…
http://d.hatena.ne.jp/chincho/20110928/1317139500 クッソ昔に書いた記事。 今までずっと黄巾の乱の経過を次のように思っていた。 1、張角の弟子唐客*1の密告 2、馬元義逮捕誅殺 3、黄巾蜂起 しかし、『後漢紀』を読んだらこんな感じだった。 春正月:…
霊帝関係で師宜官調べてて西晋の衛恒(衛瓘の子)の『四体書勢』をちらっと見てみた。 『晋書』巻三十六、衛瓘伝附衛恒伝所引『四体書勢』 (師)宜官後為袁術將,今鉅鹿宋子有耿球碑,是術所立,其書甚工,云是宜官也。 師宜官が袁術の将となって鉅鹿に耿球…
霊帝のは今書いてるんでもうちょっとまってね☆ 角谷常子「漢・魏晋時代の謁と刺」(藤田勝久・松原弘宣編『東アジア出土資料と情報伝達 』汲古書院、2011)を読んだ。この記事はこの論文をもとにしてるのでもっと詳しく知りたい方は買うか図書館で読んでくだ…
え、霊帝?なんのこと? すいません次の更新でやりますorz 『三国志』巻五十七、虞翻伝 翻嘗乘船行,與麋芳相逢,芳船上人多欲令翻自避,先驅曰:「避將軍船!」翻窅聲曰:「失忠與信,何以事君?傾人二城,而稱將軍,可乎?」芳闔戶不應而遽避之。 世紀の畜…
みんなが作れというので作る。 ページ1 ページ2 ページ3 ページ4 ページ5 ページ6 ページ7 ページ8 ページ9 ページ10 ページ11 ページ12 ページ13 ページ14 ページ15 ページ16 ページ17 ページ18 ページ19 ページ20 ページ2…
私がもっとも楽しみにしていた三国志漫画のひとつ、三国志ジョーカーついに完結の時を迎えた。 三国志モノというのはけっこう難しい。 歴史をそのまま追うと結局は演義、吉川、横山でいいじゃん、となってしまう。 いかにオリジナルな視点や要素をとりこむか…
昨日の企画の続き。 以下昨日の凡例コピペ。 用いるのは『隋書』・『旧唐書』・『新唐書』・『宋史』・『清史稿』の経籍志とか芸文志。 各王朝の時代の間隔が近すぎたり離れすぎたりしてるが史料の関係上しゃーなし。 『隋書経籍志詳攷』をもとにしつつ『清…
いやあ三国志クイズの反響はすごかったです、アクセスが増えました!! チャレンジしてくれたみなさんありがとう御座いました! http://d.hatena.ne.jp/chincho/20121104/1352037805 まだまだ挑戦受付中! インコさんのとこでもクイズやってますのでぜひ! h…
今回の早稲田祭で使った三国志クイズの上級編です。 私は問15〜問24を作りました。 最高得点はOBによる100点満点中65点でした。 平均点は出してないけど多分10点代な気がする。 重箱の隅をつついてすまんな。 はてなの関係上、○囲み数字とか使えなかったり文…
次の文は褒斜道の崖に彫られていたものだという。 『金石萃編』巻二十四、李苞通閣道題名 潘宗伯韓仲元以泰○【始】六年五月十日造此石○【木へん】○【女へん】 景元四年十二月十日盪寇将軍浮亭侯譙国李苞字孝章将中軍兵石木工二千人始通此閣道 潘宗伯&韓仲元…
左思、三国志好きにはおなじみですね! え、知らない?? やだなあ、西晋の人で魏呉蜀三国の都をテーマに三都賦を編んだんですよ! それが大流行して洛陽の紙価を爆上げさせたすごい人です!! まあ経歴はうぃっきーでも見てくれ。正確かどうかは知らんけど…
『漢魏南北朝墓誌彙編』晉大司農關中侯裴祇墓誌 【銘文】 晉大司農關中侯裴祇,字季贊, 河東聞喜人也。春秋六十有七, 元康三年七月四日癸卯薨。十 月十一日乙卯安措。 大夫人東莞東武伏氏。 夫人秦國陳倉馬氏。 西晋の裴祇という人の墓誌がある。晋の大司…
194年、改元が行われ、年号は初平から興平となった。 しかし、どうも益州においてはその後もそのまま初平が使われていた可能性がある。 初平は四年までしかないのだが、益州の地方史『華陽国志』では初平六年という表現が出てくる。 『華陽国志』巻一、巴志 …
高順は騎将というイメージは根強いと思われる。 光栄の三国志11においては騎兵適性が最高ランクのSであるし、蒼天航路では弁髪で北方騎馬民族風出で立ちであった他、三国志大戦でも兵種は騎兵らしい。 こういったイメージはおそらく、高順が呂布の并州時代…
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20121002/1349104783を見て万彧の出自が気になったので百度百科で調べてみた。要するに便乗。 http://baike.baidu.com/view/1232115.htm 万彧(?――273)字不详(一说字文彬,疑出自《江苏毘陵万氏宗谱》,但未见参考文献原文),…
『古今図書集成』 明倫彙編氏族典、第一巻 獻帝建安二十 年,曹操改秦真姓曹氏。 曹真が「曹」という姓をもらって秦真から曹真になったのが建安二十年*1なのだという。 曹真は『三国志』では曹操の一族の曹邵の子とされている一方で、注に引かれた『魏略』で…
某SNSに書いた話をまるっきりそのまま使う。昨日つぶやきもしたけど。 今更ながら春秋左氏伝を読んでいる。 春秋左氏伝といえば、関羽が愛読し、ほぼ暗唱できるほどであったというエピソードは有名である。 しかし関羽は文面だけ覚えて、本質を理解していな…
東京ビッグサイトで行われるコミックマーケット82にサークル参加します。 三日目の8月12日(日)、西まー15a「早稲田大学三国志研究会」です。 頒布物は二つ。 一つはちょっと前に作った東大さんとの合同誌「鶏肋雑破」(300円)、私は風俗通応劭を持ち上げ…