雲子春秋

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関羽の印

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上の関羽動画を見たので関羽ネタを。

『蜀中広記』
雲谷雜記紹興中洞庭漁人獲一印方僅二寸其制甚古紐有連環四兩兩相貫上有一大環總之葢所以佩也漁者以為金競而訟于官辨其文乃壽亭侯印四字闗侯嘗封於漢壽亭疑必侯物遂留長沙官庫守庫吏見印上時有光焰因白于官乃遣人送荊門軍侯祠中光怪遂絕容齋隨筆云復州寳相院以建炎二年因伐木於三門大樹下土中深四尺餘得一印其環并背俱有文云漢建安二十年壽亭侯印今留於左藏庫邵州守黃沃叔啟慶元二年複買一紐於郡人張氏其文正同只欠五絲環耳予以謂皆非真漢物且漢壽乃亭名既以封雲長不應去漢字又其大比它漢印幾倍之聞嘉興王仲言亦有其一侯印一而已安得有四雲長以四年受封當即刻印不應在二十年尤非也是特後人為之以奉廟祭其數必多今流落人間者尚如此予今歲在渝州武陵楊進士文弱以廣文分考蜀闈事竣見過損惠漢章方寸文曰闗小侯印

明の曹学佺の『蜀中広記』にある話。(以下抄訳)
宋の張芾の『雲谷雑記』によると、南宋紹興年間に洞庭湖の漁師が一つの印璽を発見した。
印面には「寿亭侯印」とあり、漢寿亭に封じられた関羽のものではないかと疑われた。
結果、長沙の官庫に収められた。倉庫番の役人が印を見ると、光と焔をあげたため、関羽を祀る荊門軍侯祠に送ると、光はやんだという。
また、宋の洪邁の『容齋隨筆』には建炎二年に大樹の下の地中から一つの印が発見され、「漢建安二十年寿亭侯印」と刻んであった。
それから約70年後、邵州守の黄沃が慶元二年に一つの印を買った。そこにも同じ文が刻まれていた。
これらはすべて漢の物ではない。漢寿は関羽が封じられた亭の名前であって、漢の字を取り去るべきではないし、また、サイズも漢の印の数倍である。
嘉興の王仲もまた一つの関羽の印を持っているというが、侯の印は一つであるはずであるのに、なぜ4つも見つかっているのか。
漢より後の時代の人が、廟に祀るために数多く作り、それらが世間に流通しているのである。


関羽の廟に祀るために関羽のものとされる「寿亭侯印」が数多く作られていたという。
私も今度作ってどっかに埋めてみようかな!