姜維州
俗業に追われるあまり三国志への没入を忘れ早三年
行きかう人に同好の士なく、ただいたずらに年を重ねていくばかり
思い立っては一歩にして躓き、二歩歩いては三歩下がる有様
そんな折、遠方の師友の言葉は、我が心に活を与え、惰性を揺るがすのであった。
というわけで久々に更新してみる。
唐の武徳元年(618年5月30日〜619年1月20日)に羌族が降伏した際、姜維の古城に新たに州を置いた。
その名も「維州」である。
姜維の名前が州の名前になっている。
『旧唐書』志第二十一
薛城 漢已前,徼外羌冉駹之地。蜀劉禪時,蜀將姜維、馬忠等,討汶山叛羌,即此地也。今州城,即姜維故壘也。
その城は、建興九年(231年2月20日〜232年2月8日)の汶山羌の反乱の際に作られた塁がもとになっているようである。